Never Ever Give Up、(決して絶対にあきらめない)


3月11日の東日本大震災は今日でも多くの傷跡と後遺症を残している。
毎日の診療と手術件数が日々増えていることからブログを書き込めなかったこともあるが、大震災後の不安な心理を僕自身も感じていることもブログの遅れている理由でもある。
福島を中心に今でも原子炉からの放射能汚染や東北や北関東の地震の余震で苦しんでいる。そんな中で、避難している南相馬町の患者さんを初め多くの福島からの患者さんなど、多くの患者さんが来院してくれている。彼らは避難地から不自由な交通手段を乗り継いで、深作眼科に来院してくれている。
多くの外国人が地震放射能汚染を恐れて日本を離れている。そんな中でも、海外からの眼科治療を求めて来院する患者さんはいる。また、深作眼科の世界最高の技術を習おうと海外の眼科医が研修に訪れている。
この女医さんはスペインのカナリア諸島からわざわざ研修しに深作眼科に来ている。彼女は私がドイツで発表した内容や手術手技に感動してぜひ研修したいと来院している。非常に熱心な眼科医師であり、特に私の行っている網膜硝子体手術を習得したいと熱心である。

深作眼科の硝子体手術は現在世界で最も進んだドイツ式の方法であり、BIOM4で網膜を全て観察して、23Gの極小切開でのトンネルから手術を施行する。網膜剥離の治癒率は100%であり、世界でも稀に見る好成績である。日本では網膜剥離をレーザーやバックリングの方法で行う二世代前の方法で行われることが多い。これでは根本的な治癒は望めない。世界最先端の硝子体手術方法を行うべきである。しかし、これはかなり高度な技術と非常に高価な最高機種の手術機械を必要とする。私はドイツで硝子体手術の技術を習得し専門医となった為に、ドイツの最も進んだ施設と同等以上の成績を上げている。

日本では北は北海道、南は沖縄と全国から患者さんが殺到する。そればかりか、世界から多くの患者さんが来院される。この患者さんはロシアの病院でもはや治療ができないと宣告されて、深作眼科に来院した患者である。隣のお母さんが患者で、先天奇形の小眼球症であり、白内障虹彩欠損網膜欠損など非常に難しい患者であった。しかし、幸いなことに私の手術で視力を回復して、家族中の笑顔満点で帰国して行った。

この患者さんは中国の少数民族ウイグル族で、中国、新疆ウイグル自治区ウルムチから来院した。最近は中国からの患者がとても増えたが、この患者は中国国内では原因も治療法もわからず失明の恐怖の中にあった。しかし、多くの方の協力で日本の深作眼科を知り、ビザをやっと取得して来日した。幸いに、ブドウ膜炎を原因とする白内障と網膜硝子体の問題であり、手術で完治した。

大震災の後ではあったが、国際眼科学会のためにアメリカに向かった。白内障によって人間の色覚が大きく変わることを科学的に解明した発表である。
このモネの睡蓮の絵はアメリカ近代美術館MOMAの一番人気の絵画である。近代は抽象画全盛となったが、やはり、モネの描く睡蓮の絵のようなほっとできる絵画に人々は安らぎを得るようである。


その20年後の80歳代のモネの絵を見ると、形は不明確で色は茶褐色となっている。この原因がモネを苦しめた重度の白内障である。白内障になると水晶体がオレンジ色味を持ち、まずは暗い青色を黒と感じるようになる。また進むと暗い緑色も黒色と勘違いする。全ての形は曖昧になる。これらを科学的、医学的に考察して教育的発表を行った。幸なことに、学会で最も参考になった良い発表と選ばれた。

近年は毎日、30から40症例の網膜硝子体手術を中心としてさらに白内障緑内障を手術している。患者が殺到しているので朝から夜中まで働いている。しかし、特に夜行バスなどを乗り継いで東北の被災地から続々と来院する患者達を救うことで、私もこの大震災を共通の認識として感じている。
我々は決してあきらめてはならない。最高の医療を彼らに施行するために、いつも、”Never , ever, give up” と心の中で唱えながら粉骨砕身、人々のために働いている毎日である。