世界一多忙な眼科施設の深作眼科でもコロナワクチン接種を施行協力

これはずっと以前だが、世界で最初に心臓移植を実用化した南アフリカの医師であるクリスチャン・バーナードと僕が、国際眼科学会の後のオフィシャルなパーティーで談笑している時だ。今や心臓移植術はアメリカなどで当たり前の移植術となっている。しかし、先陣を切るということは、多くの経験のない知識のない偏見に満ちた、他の医師によって、心ない侮蔑の言葉を受けるものだ。バーナード医師も多くの嫌な侮蔑中傷を受けた。僕も眼科手術の世界では、今や当たり前となった近代手術手技を開発した時に世界では大絶賛されたのに、日本では心ない理不尽な馬鹿々々しい侮蔑を浴びたことがある。日本は医学のフロントランナーを生みにくいのは、新しい技術への尊敬と学習するという意識が少ないという、後進国特有の歪んだ嫉妬感情が渦巻く土壌がある。これからの国際化しなければいけない日本であるから、この後進性は何とかしなくてはならないのだ。
 昨日、ファイザー製の抗コロナワクチンを深作眼科でも積極的に打つ話をした。人々を救うためには眼科の手術がいかに忙しくても、手術センターという全身管理や注射やアナフィラキシーショックなどの治療など、多くの内科医などより実に多くの経験を持っているのだから、ワクチン接種も日本の為に協力しようということに決めたのだ。すると、mRNAタイプのワクチンへの副作用への心配するという他者からの反応が出た。心配は当然だと思ったが、少し話を追加しよう。僕は別にワクチンの専門家では無いが、近年のmRNAの研究ぐらい知っている。これはもともと癌治療への免疫療法の切り札として開発された技術だ。たまたま中国武漢でコロナワクチンの流行があり、専門家ならパンデミックが起こることは予想されたので、すぐmRNA技術でワクチンを開発できたのだ。コロナワクチンの周りにあるスパイク蛋白への抗体を作る目的で、スパイク蛋白の形成に関する遺伝子のなかで指示を出す部分のメッセンジャーRNAを抽出した。これは壊れやすいので保護する脂質シェルに入れたのが、ファイザーやモデルナのmRNA式のワクチンなのだ。この部分的な遺伝子ではあるが細胞中のリボゾームがmRNAの情報コードを読み込んだ後は、すぐに、この脆いmRNAは壊れる。もちろん人のDNAに組み込まれることは無い。
 人々の歴史で、多くのワクチンが生まれた。天然痘のワクチンである牛痘などでは、牛になってしまうと庶民は恐れおののいたという。ジェンナーは自分や家族に接種して安全性を示した。日本でも天然痘は撲滅した。ポリオワクチンも日本で成功をおさめた。でも日本はとかくワクチンが遅れている。B型肝炎ワクチンは先進国では小学校入学前に打つ義務がある。子宮頚癌ワクチンは11歳から13歳頃までに打つ義務がある。でも日本の子供たちは打ってさえいないで、肝炎や子宮頸癌で亡くなる人も多い。
 さて、このコロナワクチンだが、どんな医療行為もプラスとマイナスがある。副反応を恐れるのも分かる。でも、この副反応の多くは全身管理を得意とする我々のような手術を年間1万件も行う施設なら、ほとんどすべての副反応を治せる。だから世界で一番忙しい眼科手術施設の深作眼科がコロナワクチンの接種も引き受けたのだ。少しでも人々に貢献したいと、さらなる激務を引き受けることにしたのだ。

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心臓移植のバーナード医師と国際学会時のパーティーで談笑

春が来た。でも網膜剥離手術や緑内障手術や白内障手術は待った無しで殺到する

 

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春が来た。今日は少し早めに手術を終えた。深作眼科六本木院前の東京ミッドタウン横の公園に来た。まるでニューヨークの我が家前のセントラパークのようで、ホッとする。それにしても、毎日毎日遅くまで人を救うために手術をしている。特に深作眼科横浜院では網膜剥離緑内障は毎日10件以上も行っている。手術しないと失明する可能性があり、患者も必死で早くしてほしいと願う。すると予定件数より多い臨時手術も入れることになり、真夜中までの手術となる。スタッフには割増の残業代を支払い、タクシー券を渡したり帰れない者にはホテルの部屋を提供する。これでは手術代より経費の方がはるかにかかり赤字となる。公的補助など一切無い。こんな無理をして人々の目を救っている。すると事務方から、労働基準局に残業の時間など報告が必要だと報告があった。残業が多いので注意があるかもしれない、という。そうなれば、逆に聞きたいものだ。大学など大きな補助金を得ている病院の眼科が、6時くらいで帰り、多くの網膜剥離緑内障患者をそのまま失明させたり、手術を失敗して、僕の施設に実に多くの患者が助けを求めてくる。彼らの尻拭いをしているのだ。ところが彼らは6時ごろに帰り楽をして、尻拭いで治してやっても感謝もしない。誰も長時間働きたくないし、他の者の尻拭いなどしたく無いし、夜中まで働いて赤字になどなりたくない。患者を救ってやらないと、という使命感だけで、かなり無理をしている。この上さらに残業時間が多いなどと、もしも注意されるようなことになれば、もはや僕の我慢も限界となる。役所が責任を持って人々の失明を救ってみろ、もう僕はやらない、と怒るであろう。でも現在のところ何の連絡もない。僕が断ったら、毎年数千人の失明から救う行為が、この世から消えることぐらい知っているからなのだろう。しょうがない。人を救うということは、選ばれた能力の者の責任、と覚悟する

しかないのだろう。

日本で最初に世界最先端多焦点レンズのシナジーレンズ移植術開始

深作眼科は白内障緑内障網膜剥離の手術件数が日本で一番多い。さらに多焦点レンズ手術施行数は日本はもちろん世界一の手術件数だ。世界最初に多焦点レンズを開始した医師の一人であり日本ではもちろん最初である。当時の最初の患者さんの一人に細川護煕氏がいる。既に手術から20年近く経っているが、今でも裸眼で1.5の視力がある。最高の手術を受けることが生涯最高の裸眼視力を保てるのだ。
さらに全ての距離でクリアに見えるレンズを設計して昨年ヨーロッパで使い始めた。この最新型のレンズはシナジーと呼ぶ。このシナジーレンズを来週から日本では深作眼科のみが使用開始できる様になった。
僕は多焦点レンズでの世界の指導者としてアメリカ眼科学会では座長を務め多焦点レンズ手術の発展に努めて来た。日本は屈折矯正手術に美容外科が入り、おかしなぐちゃぐちゃな状況となった。LASIKの開発者の一人として残念で悔しい話だ。
多焦点レンズはこんなおかしな状況にしたくない。でもおかしな嘘宣伝が巷に渦巻いている。
今年の初めから毎日30件以上の多焦点レンズ手術を施行した。先進医療保険が無くなっても深作眼科では僕が全て手術するので、コンスタントに多くの多焦点レンズ手術を続けている。患者の皆さんが間違った嘘情報に惑わされないで、正しい情報をもとに手術を選択してほしい。世界のメーカは良く知っている。日本で最初に最新型の多焦点レンズを使えるのを、常に深作眼科で日本で最初に行うのがその証拠だ。シナジー多焦点レンズは今までのレンズとはまるで違う夢の世界とも言える。この写真がシナジーレンズの設計図だ。

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シナジーレンズ

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12月24日眼科最新本を主婦の友社より上梓

 
本物のカバーはもう少しきれいな色ですが、新刊上梓が決まりました。12月24日に主婦の友社から眼科啓蒙本が新刊ででます。イラストも多用して、とてもわかりやすく世界最先端眼科医療を解説しています。内容は全て僕が自分で書き下ろししています。
 コロナ禍であっても、失明の恐怖で心配して、全国から患者が来ています。特に日本では緑内障による失明者が多くて、全失明者の約30%に上ります。今や高齢化時代です。アメリカの統計では70歳代に入ると軽い人も入れて、約9割の方が緑内障を罹患しています。さらに網膜剥離や糖尿病性網膜症、網膜色素変性症などが失明の原因です。残念ながら日本は眼科分野で先進国から遅れているために、失明しなくて済む方々が、諦めて失明しています。僕はアメリカ中心にさらにヨーロッパ諸国などで眼科手術方法を教えています。これらの先進諸国は、僕の開発した手術方法で失明の恐怖から解放されています。さらにこれも僕たちが開発した多焦点眼内レンズを白内障手術で移植して、ほとんどのことが裸眼でよく見える目まで獲得しています。日本人の一人でも多くの方々が、僕らが開発した真の世界最先端の技術の治療を知って正しい治療を受けることで、生涯に渡って最高の裸眼視力を得てくれることを切に願います。f:id:fukasaku:20201121011125j:plain

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 8月26日から31日にかけて日本橋三越で行われる日本画展に50号に加えて10号の日本画を追加出品します。
  僕は6歳から油彩画を描き始めて今まで何千枚も油彩画を描いてきました。つまり油彩画での専門家であるとも言える僕にとっての日本画は、岩絵具を膠にて雲肌和紙に定着するという絵画技法が違うだけで、表現したいものは同等であり、伝統的な日本画の対象とは異質でしょう。
 この絵は僕のニューヨークの自宅より20分ほどの場所のマンハッタン島にあり、真ん中の高層ビルは、摩天楼の最初の建築物で歴史的な建物です。日差しの強い日の、光と影の感動を現地でスケッチしたものをもとにして、油彩画にしたものを、さらに日本画で作成しています。混沌とした世界の代表的都市の、白日夢のような風景がそこに横たわっています。題名は、Flatiron Building です。

 このような僕の眼科外科医とは別のプロとしての画家活動は、気持ちを別の分野に集中することで、結構気持ちをリフレッシュもできるのです。

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 最近は全ての手術を僕が施行している。1月から3月までは多焦点眼内レンズ白内障手術を毎日30件も施行してハード過ぎた。と思ったら4月からは網膜剥離緑内障手術が普段の2から3倍も来て、その手術でてんてこまいである。診療後に毎日夜中まで1日8時間の連続手術だ。先日ある大学の内科教授と話したら、コロナ感染患者を大学病院で入院させてコロナの院内感染も起こったために、外来制限や手術制限を続けているのだそうだ。眼科などはずっと機能して無いそうだ。失明につながる緑内障網膜剥離患者が日本中からより多くくるわけだ。全国の大学病院などから患者が深作眼科に来ている。ただ相変わらず手をつけ悪くしてから来るのが多くて困る。是非手付かずで何もしないで、手遅れなく来れれば、必ず治せる。
 
 これらの事情で毎日の仕事が14時間ほども連続して診療と手術を続けている。しかも、世界最高の眼科外科医と国際眼科学会で特別表彰を受けたプライドにかけても、患者には常に世界最高の眼科治療を届けている。その後眼科医師を5名追加して雇用したが、やはり手術は任せられない。世界的に見ても優れた眼科外科医は少ない。もっと言えば僕の理想とする世界最高レベルの眼科外科医は1万人の眼科医に一人くらいしかいないのだ。世界最高の眼科医療を日本人に届ける為に、今後も頑張るしかない。
 ただ昨日はあまりの疲労困憊でベッドに眠り込んだ。久しぶりに8時間も長く眠り、そして元気になった。スーパーマンになったような力が湧いてきた。そして久しぶりに油彩画を描いた。先日まで実は日本画大賞に応募する為に大型の日本画を描き入選した。でも今日は油彩画の気分だ。僕は6歳より油彩画を描いてきた。アメリカで眼科医になった時に世界一の眼科外科医となろうと奮い立ち成就した。さらに未だ成し遂げられないが、パリのホテルでピカソを超える画家になりたいと奮い立った思いは続いている。今晩金曜日の夜は平井堅の歌をCDで流しながら、油彩を描き続けている。

日本画大賞展入選の初の日本画大作の「難破船」と油彩画永井画廊個展

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難破船

 来る8月26日から31日にかけて、日本橋三越本店本館6階の美術特選画廊にて日本画大賞展の入選作品展示があります。220作品中20点が入選作です。僕としては初の日本画大作です。三越では、20作家20点の大作50号の入選作品と、販売用の10号作品がさらに20点展示されます。

 僕は6歳の頃より油彩画を始めて、数千点描き昨年はヴェネチアヴィエンナーレにも展示していますが、今回初めての日本画作品のコンテストに出したものです。高価な岩絵具ですが、宝石のような色彩の美しさには、描いた本人がうっとりします。
 絵の題は「難破船」です。砂浜には難破した船とそこにうずくまる男がいます。男は死を意識して、骨のような岩肌の丘の上には枯れ木が一つあります。空には鳥が飛び絶望の男を見ている。そこへ海原の中にイルカの大群が来る。まるで十字架をもたらすように浜辺に向かう。すると空には天から光の階段が伸びて魂の救いをもたらす。そこには何処からかワグナーの交響曲のような救いへの音も聞こえる。絵の中には常に物語が有るのです。
 是非展覧会をご覧ください。
 なおまた油彩画の個展が銀座の永井画廊にて10月5日より17日まであり、これも全て新作で臨みます。この個展は昨年の公募日本の絵画展への大賞受賞に対してへの、僕の単独個展です。これも是非ご覧下さい。