美を求める心


最近とにかく忙しい。その理由のひとつは、多くの困難な眼の病気を抱えた患者さんが日本中や世界からさらに多く来院して、診療と手術に忙殺されていることはもちろんのことです。また、さらに近年、油彩の絵を描くことにプロとしての意識で夜中に作品を作成していることが上げられます。
日本での画家のプロデビューにはいくつかの方法があります。そのひとつが、公募展への挑戦です。公募展の中で、最も難しいとされるのが、秋の独立展と春の国画展です。
私の特徴はできないといわれると益々燃えて挑戦したくなることと、いったん集中すると人智を超えたような神がかった集中力を見せることです。
普段、長く油絵を教えてもらっていた著名な画家の佐々木豊さんの著作に“プロ美術家(画家)になる”というのがあります。佐々木さんは情緒的なロマンチックなエロチックなすばらしい色彩の絵を描く世界的な画家です。さらに文筆に優れ、多くの美術連載物や啓蒙書を書いています。その著作のひとつがプロ画家になる、です。私は佐々木さんの著作3部作を2冊ずつ買い、色々なところに持ち歩き数十回と読み、影響を受け、これはプロになるしかないなと思ったわけです。佐々木さんに公募展に挑戦したいと相談すると、独立や国画はプロになる者の挑戦する団体で、難しいと、暗に止めるのです。私はできないとか、難しいとか言われると、むきになって挑戦したくなるのです。人ができるものを同じ人間である自分ができないはずがない、と思うのです。患者が、非常に困難な症例にたいし、これはできませんか?と聞くのは禁句です。それまでとても無理だと思っていたのが、できないか?と患者から問われれば、私にできないか?などの言葉を吐くな、私にできないものはないと非常な闘争心に似たアドレナリンが沸いてくるのです。ですから、私の病院では日本や世界で、とても無理だと見捨てられた患者が殺到して、私はこれをなんとかしようと悪戦苦闘することになるのです。間違いなく、深作眼科に来る患者の難易度のレベルは世界最高です。しかし、不思議なことに、自分でも心の底で無理かなと思っている患者の病気でも、何と神がかった力が私に乗り移ったとしか言い様がない力で多くは直してしまっています。
こんな自分ですので、佐々木さんから、暗に無理な挑戦のような言われ方でしたのでなお更奮起して、プロの登竜門である公募展に挑戦することとしました。直近の秋の独立展は人気作家の奥谷さん、絹谷さん、大津さんといった芸術院会員でもある方たちが属しているプロ集団です。
夏に南アフリカの学会で講演した後に、有志たちとサファリツアーに行きました。そのときにスケッチや多くの写真を撮り、それらを元に130F,100S, 100F と3枚の大作の油絵を同時に描き進めながら展示作を決めました。
写真の最初にあるのが独立展から届いた入選通知です。昼間は患者さんの診察と多くの手術を施行しなくてはなりませんから、この大きな油絵は夜中に描いていたのです。いくら集中力と決してくじけない意志力は誰にも負けないものがありますが、毎日3−4時間睡眠で集中するのは実に厳しく、同時に絵を描かずにはいられないプロの心情そのものになっていきました。仕事以外は全て絵に注ぎ込む生活は、悩み事が有っても、悩んでいる暇が無いというほどすさまじいもので、ずっと集中が続いていることによる脳の神経細胞が熱を持ってうなっているような感触でした。

これは私のアトリエにある入賞作で、額装前です。冬の南アフリカの木立の中にホーンビル(角笛嘴)鳥を描いたものです。この鳥はかなり大型鳥で、南アフリカの山岳部にいます。

大津英敏さんの個展のパーティーで、奥谷博さんと佐々木豊さんと一緒に写真を撮ったものです。まだプロ芸術家としては若輩者ですが、意識はこの道の第一人者とすでに親しくお付き合いをお願いしています。もっとも、眼科手術の分野では世界一の技術があるわけですから、いつか手術でお役に立てるということを加味して、画家としても世界の第一人者の仲間入りをさせていただいているのだろうとは理解しています。
このように眼科の診察と眼科手術、さらにプロの画家としての生活はまことに大変ですが、意義深く、人生の時間を噛み締めながらすごす想いです。
こう思いながら今日もモデルを前にして油絵を描いていると、細川護煕さんからお電話頂き、お知り合いの芸術家の方の目の病気を見てほしいとのご依頼でした。先日も二川さんがいらして、芸術写真の世界的な大家の方の手術のご依頼でした。私の中では多くの芸術の仲間の諸先輩方のお役に立てることは名誉であり喜びでもあります。


この写真は私の右に白州さん左は細川佳代子さんです。白州さんは美術評論などの文芸家で著名な小林秀雄さんのお嬢様で白州次郎、白州正子さんのお嫁さんです。細川さんは前に述べましたが、白州さんも裸眼視力が1.5で、遠くも近くも裸眼でとても見えると喜んでいらっしゃいます。
私は今までに約十万件の眼科手術を施行しています。あらゆる眼科分野の手術です。白内障は世界最高の技術であることは世界のベストドクターズの最初に紹介されます。近視矯正手術はレーシックやフェイキックIOLは日本どころかアジア太平洋地域で最初に施行しています。老眼の矯正はアメリカ学会でグランプリをとったほどの専門家中の専門家です。多焦点眼内レンズ移植手術で多くの日本の著名なセレブを手術治療して、近くも遠くも裸眼で見えるような白内障手術を非常に多く施行しています。ドイツで専門医になった網膜剥離への硝子体手術で100%の成功率で直っています。多くの手術法を開発して世界の学会で多くの賞を受けた緑内障も時期が遅すぎなければ手術でその視力を保っています。眼瞼下垂などの形成外科はアメリカでトレーニングを受けた日本では稀な専門家です。東洋医学で漢方専門医でもあることから難病の網膜色素変性症を積極的に治療しています。米国のアイバンク協会会員であることから新鮮な角膜をアメリカより輸入して非常に多くの角膜移植手術を行っています。
いまだに、お近くや職場の近くで手術をしたけど思わしくなく、何とかしてほしいと来院する方があとを絶ちません。大変お気の毒ですが、いったん手をつけた目はもはや、最高の結果は出ないのです。深作眼科で行う手術は早いだけでなく、できるだけ眼への傷を少なくして、精密な操作をすばやく正確に行っています。そのための設備は世界で最新最高のものを常に更新しています。技術と経験は最高であるのは言うまでもありません。
国が行う中立の立場の技術のコンテストでもあればよいのですが。公開された公明正大な技術競争が行われるべきです。患者が希望するのは病気から救われることです。患者は気の毒に情報が足りないのです。剣豪の時代なら宮本武蔵のように、他流試合にて剣の腕を正々堂々と競えたかもしれません。もっとも宮本武蔵でも保守的名門の姑息な井の中の蛙集団である吉岡一門の卑怯な待ち伏せで、下り松にて数十人の相手と剣の試合をしなくてはならず貧すれば鈍する者達です。名門などとふんぞり返って新たな努力をしない者などは、古今東西こんなものです。しかし、その数十人の吉岡一門をたった一人の武蔵が、すべてを討ち果たしたのはすさまじいものです。まさに”正義は勝”のです。
ちなみに、後世、宮本武蔵は細川さんの熊本藩にて剣術師範となり多くの著作も残しています。あれから700年たち、眼科を剣術に置き換えれば、世界最高の技術を常に追求している私自身は宮本武蔵のようなもので、その患者さんとして細川さんがいらしたのは、歴史は廻るものなのでしょうか。
患者にとって救いは口コミだけです。口コミをもとにした、オリコン16万人の患者調査で、医療満足度が日本の全ての科で唯一、深作眼科が10点満点中10点だった施設だとの事実が、患者の口コミの正しさを証明します。深作眼科の技術に挑戦したいものがあれば喜んで競争したいものです。我々は公明正大な競争なら眼科手術技術において、世界の誰にでも勝てると確信を持って言えます。