本物との出会いは幸せのサイン


この女性のうなじを描いた、ひどく色っぽさも感じる絵には、老成の画家を窺うだろう。
しかし、正解は18歳頃のパブロ、ピカソの絵です。これは吉井さんの所有でパリの吉井画廊にありますが、一般には公開してませんので、この絵を見たときには幸せの気持ちでいっぱいになったものです。ピカソは幼少より絵画の英才教育を父親より受けて、既に20才前にアカデミックな素養をほぼ完璧に身に付けていたようです。それを見た画家の父親は子供の教育に生きがいを感じており、当時のパリ万博にはスペイン代表として若いピカソの具象画が選ばれている。
その後に、ピカソはアカデミックの完成をどんどん壊して新しい絵の世界を模索してどんどんと変化していたのは、絵の専門家でも無くても分かるでしょう。
私は、高校時代には画家になりたいと考えていたことがある。医師になった後もずっと油絵は続けていた。しかし、開業して、世界一忙しい眼科外科医になってからは絵も中断していた。それが、近年のパリ行きや吉井さんからの影響などで、油絵を再開した。昔から知っている佐々木豊氏の指導でもどったが、やはり自分の世界はまだアカデミックな絵画を追求している。しかし、油絵を描いていて、以前よりも物の本質が分かるようになってきた。おそらく、美大の学生では分からない本質が人生の経験の中で理解できるようになったようだ。
横浜で佐伯祐三の展覧会があった。これは良かった。佐伯はパリに渡航した後、憧れのセザンヌに似せて自画像を描いていたが真似に過ぎず本質は変わっていない。しかし、自分の裸婦の絵を見せたときにアカデミックな画風をブラマンクから批判され、もっと本質を見ようと変化していった。まさに自分の中を突き動かしたものがあった。自家製のキャンバスで下地をしっかり作り、短時間で勢いのある絵を乾いた油絵で表現した。現実には4年の活躍で若くして亡くなったので、いくつもの変化はしていないが、この勢いがある太い線はルオーの響きさえする。
これは梅原龍三郎さんがルノワールを訪ねて影響を受けた後に、ルオーに出会い、さらに大胆な線のルオーに引かれ同質の大胆な線に変化していったことに似ている。
人生の中で本物に出会える幸運は、自分から積極的に働きかけなくてはありえない。


次の写真は、先日のアメリ白内障屈折矯正手術学会ASCRSにて、学会第一位を受賞した日の写真です。学会元会長で私の師匠でもあるソルントン先生ご夫妻と撮ったものです。
昨年暮れに深作眼科のホームページを立ち上げて半年が経ちました。他所でいろいろと手をつけてきたり、手遅れになってからくるような患者さんが早く深作眼科を知りたかった、と落胆している方があまりに多く、なんとかしてやりたいと思ったからです。
このホームページで見たという患者さんも多く来院しますが、非常に難しい症例が多い。色々と既に手をつけている患者さんがいまだに多い。そして藁をも掴む思い出来院するので、最後の最後の失明寸前で来る方が多いのです。
ある若い女性の患者さんですが、若年性の糖尿病性網膜症で、増殖膜変化が酷く網膜剥離を起こした方です。地元の県では良い病院が無いと、しかもそこでは出来ない難しい例だと断わられたそうです。そこでインターネットで検索して横浜の診療所が検索で上位にあり、そこで治療をしたそうです。その施設のホームページには、そこでは日帰りの硝子体手術をしていると、高らかにいかにも結果が良さそうな、大学から硝子体手術の専門家が来てやる手術だとの文面が並んでいます。
その女性はそこでまずは左目の網膜剥離の硝子体日帰り手術を受けました。しかし、一回目は治らず、さらに日を置いて2回目の硝子体手術をしたそうです。患者さんは、手術中はとても痛くて苦痛でもだえ苦しんだそうです。それでも治れば良いですが、なんと最終的には左眼球を摘出させられたのです。反対の右眼の網膜にはレーザーを打ち、右眼も失明するだろうと宣告して、あとはほうっておかれたそうです。
そうして藁をも掴む思いで、検索では少し下にあった深作眼科を見つけて、訪ねてきました。患者さんは、こんな大きい施設だとは思わなかったとまずびっくりしていました。前の施設が30坪程度のビル診療で部屋の中で手術をしたのと比べれば、深作眼科は日本でも最大級の眼科施設で1400坪のビルです。手術件数も日本で最大であり、5つのクリーンルーム手術室や都市ホテル級の入院施設もあり、研究所も併設して、医食同源を実施するレストランや眼鏡部など全ての眼科施設と地下駐車場もあります。しかも、17年間連続で世界最高の手術レベルの施設としてアメリカの世界眼科学会で表彰されているのです。
患者さんはインターネットの検索で上位だというだけの理由で以前の眼科施設を訪ね、手術を受け眼球摘出という結果になったのです。
深作眼科に来院したときは、左は眼球摘出されており当然失明しています。右眼は増殖性糖尿病性網膜症で網膜剥離となっていました。しかも、前の施設でレーザーを剥がれた網膜に打たれており、網膜に多くの孔を開けた返って非常にまずい状態となっていました。このような治療が極端に困難な症例ですが、我々が断ったら、他の施設ではもはや治療は出来ないのはわかっていました。そこで、苦渋の決断で当院での入院手術となりました。
私はドイツの世界最高の網膜硝子体手術施設で4年間の研修を収め、ヨーロッパ網膜硝子体手術専門医となっています。ヨーロッパでは日本ではほとんど使われることの無い、広域網膜観察装置のBIOMという装置をドイツの専門家は全員が使います。深作眼科のシステムはこのドイツだけでなく世界最高の施設と同じ機械で、かつ世界最高のレベルにあります。
非常に重症の増殖膜が張った網膜剥離でした。しかも、レーザーの後の10数個の網膜の穴と大きな牽引による大きな網膜裂孔がありました。私は手術時間も世界で最も早いと言えますが、この例は3時間に及ぶ大手術となりました。
入院中のガスの追加や、糖尿病も重症なので炎症蛋白による瞳孔閉鎖なども起きましたが、当院に入院していたので追加の緊急手術で乗り切りました。失明するはずだった彼女の右眼の手術は、こうして成功裏に終わりました。
結果は、なんと術後視力は1.2を得ることができ、網膜剥離も完全に直りました。患者さんと家族は手を合わせ、心から視力が回復した喜びを表現していました。いまや、右眼は完全に綺麗な目を取り戻し、素晴らしく見える1.2の視力で、表情も晴れ晴れとしています。それに比較して他院でされた左目の眼球摘出で、左は義眼となっています。
患者さんは気持ちの優しい人で感謝だけでした。しかし、家族は前の医師のいい加減な治療と無責任さと責任放棄を憤っていました。全くそのとおりです。前の医師は自分の実力を知らずに、インターネットで宣伝して患者さんを集め、患者さんに悲惨な体験をさせ、かつ我々の施設に大変な後始末の苦労をかけさせました。このような施設は良心があるのならば手術を止めるべきです。
しかし、患者にこれ以上の精神的な悩みを掛けさせないほうが良い。患者と家族に言いました。人を恨むことは自分に苦しみが降りかかります。それよりも右眼が救われた幸せに眼を向けましょう。私はあなたがこれで、安心してこれからの人生を幸せに送れる安らかな気持ちに戻れると信じます。と述べました。
インターネットは非常に便利な道具です。人は検索して上位にあるものをクリックします。しかし、上位と内容の質とは全く別物です。インターネット検索の上位に上げる方法にはキーワードの検索などで広告費をかけると上位になります。もしくは、この問題の医院のように身近に感じるようなブログを作って検索させる方法もあるようです。しかし、医療の質はまったく別です。網膜剥離の治療に来て眼球摘出させられたなどとはかつて聞いたこともありません。
本物を見つける眼を持って、色々な患者の口コミを利用して、本物の医療機関を見つけるべきです。しかし、眼科なら簡単です。世界最高の設備と世界一の手術技術を自信を持ってお勧めできる施設が横浜にあります。まさに深作眼科は本物中の本物です。あまりにも可愛そうな患者さんの悲惨な経験をまじかで見て、少々興奮気味に述べてしまいました。本物との出会いは幸せのサイン、です。