救急に駆け込むより時間をかけて最高の眼科外科医を見つけるのが重要

 週末になるとよく思うのですが、医療では救急が患者の関心事でしょう。眼科でもそうだと思います。網膜剥離で急に見えにくくなった時に、救急病院に行きたくなります。
でも、たいがいは不安感は判断を誤らせます。まずは眼科では救急は無いと考えて間違いがありません。特殊な眼球破裂は急ぐでしょうが、それでも救急病院に行くのはやめたほうが良い。眼科の難しい症例であるほど、救急病院で治療はできません。
 結構ある例ですが、具体的に体験した例を紹介します。例えば20歳の有名大学経済学部の男子学生が丹沢の山歩きを楽しんでいました。すると上から小石が転がり落ちて彼の左目にあたりました。目から血が出てびっくりした彼は救急車を依頼しました。彼は母校愛が強かったのか自分の母校の医学部病院に運んでくれるように救急車に頼んだのです。そして救急部で目の治療を受けました。
 後日、彼は経過が悪いということで評判の高い深作眼科を受診したのです。その患者は僕が診ました。でももはや彼の目は治療しようがない状況でした。なぜなら、彼の目はもうなくなっていたからです。魔法使いではありませんから、無い目は治せません。動く義眼の手術ぐらいしかできません。時間が経ってから大学病院のカルテのコピーが届きました。その内容を見て愕然としたのです。救急外来での眼科医の記載によると「患者の受傷眼を見ると、血だらけでどうなっているか分からない。他方の右目に影響すると困るので眼球を摘出する」とありました。
 基本的に目の癌でもない限りは、眼球破裂も含めて眼球摘出はしてはいけません。眼球破裂でも迅速な角膜移植術、人工眼内レンズ移植術、網膜剥離復位術などをできるだけ早く施行すれば、治る例が多いのです。彼の目も、おそらく私なら治せたと思うと、気の毒で愕然としたのです。
 別の例をお話ししましょう。50歳代の学校の先生の話です。ある日の休日に、彼は趣味のバイクを整備していました。機械のピンを抜こうとしてペンチで引っ張りました。渾身の力を入れたその時に、つかんだピンから滑ったペンチが彼の左目を突いたのです。眼球破裂でした。県北部の住居近くの大学病院に救急搬送されました。彼はそこに入院して眼球破裂の創を縫われたそうです。しかし、水晶体もどこかに飛んでなくなり、虹彩も切れて、網膜もはがれている上に、目の中は血だらけでした。
 その大学病院の担当医はもはやこれ以上の治療はできないと告げたのです。困ってしまった患者に対してこの担当医は「深作眼科ならできるかも」と言ったそうです。これはとても勇気ある行動です。日本の大学病院では他院に治療をお願いすることなどないからです。できないことをできないと患者に伝えることは日本では勇気がいるのです。
 この結果、患者さんは受傷後2週間で当院への受診となりました。眼球内は血で満たされていました。超音波の検査でも網膜剥離は診断できました。水晶体はなくなっていました。虹彩は受傷時か救急の処置時かにほぼ切り落とされていました。これに対して、緊急で手術を予定しました。
 アメリカのアイバンクは夜中でしたが、電話をかけて当直の医師に依頼し、朝一番で移植用の角膜を送ってくれるようにお願いしました。翌日になって角膜が届き、受診後二日目に手術となりました。角膜全層移植術をして、眼内レンズを逢着して、目の中を見えるようにして硝子体手術で出血塊を取り除きました。網膜は全剥離で、網膜周辺の鋸状縁で破けていました。増殖膜を剥離して、網膜を空気下で復位させました。かなり網膜も傷んでいたために、シリコンオイルで押さえつけることにしたのです。
 最終的には、この患者さんは視力0・9まで回復して、非常に満足してご自宅に帰ったのです。教師に復帰もできました。
 繰り返しますが、救急病院での眼科治療は目にゴミが入ったから取ってほしいという程度なら行っても良いですが、手術には期待しないほうが良い。かえって悪くなることが多いのです。これが現実です。
 人を救うためには、真実を伝えねばならないし、人々も真実に目を開かなくてはなりません。


 最後に、目の幸せの為に、僕の油彩画の新作をお見せしましょう。Narcissusです。泉に映った自らの姿に恋をして見続けた美少年がスイセンの花とかしたギリシャ神話を題材に描いたものです。ただ主人公は女性に変えています。自らの美しさに酔ってしまうのは女性のほうが多いはずだからです。解釈はどうあれ、じっと見つめる瞑想の瞬間は、彼女は幸せなのです。
I have painted my new oil painting titled " Narcissus"
As you know, some beautiful boy loves himself on the pond. He transformed himself into a narcissus. It comes from Greek myth. I have painted a girl looking herself in the pond. She is lost in meditation.