匠の人々


最初の写真はかつての首相の細川護煕さんとのショットです。背景には私が多くの国際眼科学会で受賞したトロフィー類の一部の展示が見られます。
すでに多くの方に知られていますが、細川さんは文章も名人であり、かつ陶芸では既に有名で、陶芸家のプロとしても活躍されています。また、細川家数百年の間に収集された、国宝級も含む歴史的に貴重な文化財についての海外も含む国際的な講演でも著名です。
剣豪で有名な宮本武蔵は細川家の剣術指南役であり、多くの資料が残っています。小次郎との巌流島での決闘の文献もあります。吉川の小説と事実は異なり、武蔵に頭を割られた後に、小次郎はまた立ち上がり、それを武蔵の弟子に止めをさされている場面も登場します。
細川さんは熊本では今でも殿様ですが、じつに気さくな方で、私には細川さんの人柄の温かさにもっとも引かれるものがあります。
近年の日本人は悪い意味で国際化しているのか、人々がぎすぎすしてきています。かつて日本人は他人を信じすぎるのが欠点だと海外で言われていました。しかし、今や、日本人の良さがどんどんと失われてきている現状に深く危惧するものです。他人を信じられない、敵対する、他への人間愛が失われる、恐ろしい時代がやってきたものです。
このような中で、医療への国の経済支出が減らされ、国民が充分な医療を受けられなくなってきています。かつて私が、衣食足りて礼節を知る、というのは現在では、医(充分な医療を受けること)職(仕事があること)足りて礼節を知る、としか言えないほどに、日本は追い詰められてきているようだ。何とかしなくてはなりません。共に協力して、日本国民への医療の質を維持しましょう。少なくとも深作眼科では、眼科の全ての分野で世界最高レベルの医療を提供する施設であり続けようと思います。
このような中で、細川さんのような温かい人柄の方とお知り合いになれたことは、私にとり喜びです。多くの日本人がかつて人が良すぎると言われた日に戻りたいものです。


次の写真は、パリ滞在時に、吉井ギャラリーで撮った、現代絵画の重鎮であるヤンケルさん(中央)とのショットです。
ヤンケルさんは、蜂の巣(ラ、ルーシュ)といわれたパリの画家のアトリエが集まった梁山泊のような住居で生まれました。ちょうどモジリアーニが亡くなった日に生まれたために、自分はモジリアーニの生まれかわりと言っております。ヤンケルさんの絵はyankel-art.comのホームページでも見られます。
最近は私も出来るだけ油絵を描くべく、佐々木豊氏の指導で、モデルを使った人物画を描いている。僕が初めて油絵を描いたのは6歳の時であるから、ピカソにも負けないくらいの早熟な画歴である。高校ぐらいまではプロの画家も視野に入れていたことから今でも関心は高いものがあります。
ヤンケルさんと僕の違いは何でしょうか。技術はさして変わり無いでしょう。長い画歴の自分ですから、美大生以上の技術はあります。ヤンケルさんやピカソなど著名なプロは自分の世界を表現できていることが最大の差でしょう。自らの世界は人生を経て独特の世界が形成されます。自分の絵を表現するには今までよりこれからが適しているわけですから楽しみです。
このような創造の世界にあこがれている自分がいます。一方で、締め切りが迫る、新しい眼科手術の英語での教科書の分担執筆が気になります。
眼科手術では私は世界でプロ中のプロである自負と自覚があります。私自身は眼科手術の進歩に全身全霊を捧げている使命感を覚える自分に武者震いを感じる日々でもあります。私の眼科手術は、常に世界最高の結果を得るだけでなく、自分自身が満足できる芸術の域にあるものでなくてはなりません。自分自身にも強烈な自負心とともに強い使命感とがあります。プロの技は手術であっても芸術の域になくてはならないものです。