僕の大好きな赤ひげ


僕の大好きな赤髭
少し前に、朝日新聞の人脈記にて、各科の医師が紹介された。題して、“ブラックジャック達”とあった。この医学の名医を紹介した朝日新聞の企画で人選につき多少の相談があった。私は、やはり世界的に活躍している、腕のある名医を紹介したほうが良いと、何人かを上げた。連載中にアメリカの大きな学会があり、日本を留守にしていた。帰国を待ち受けるがごとく、編集委員のかたから連絡を頂いた。私をこの特集の最後に出さなくてはとお待ちいただいたそうで、すぐに取材にいらし、数日後の朝日新聞全国紙の一面にカラーで、私のことが眼科の手術の名医ということで紹介された。
この時のブラックジャックについては、手塚治虫の同名の漫画から取ったらしいのですが、その意味はどうやら、腕は最高で、かつ少々孤高を好むということらしい。
でも、私が好きなのは、このブラックジャックではなく、実は”赤ひげ”が好きなんですね。小説や映画で描かれた赤ひげは、貧しい人々を救う目的の施設で働くのですが、患者の治療を優先している姿が印象的で、現実をしっかりと見据え、かつ医療の名人で腕もあり、かつ豪放な人間性がそれを演じた三船敏郎に良くあっていた。
現代は患者に親身になろうとする医師が色々な意味で裏切られやすい時代でもあります。身を犠牲にした医師への最大の報酬は患者の神や仏に接するような感謝の気持ちがある。ところが、手術結果が良いにもかかわらず、感謝の気持ちどころか、露骨な不満を受けることがある。患者の現実的な期待値が高すぎる場合もあるが、そもそも感謝をしようとする気持ちの余裕が無い方が増えているようだ。
現代において、赤髭であることはとても難しい。最近の国による医療費抑制策で、経済的な余裕が現在の医師には持てなくなっている。昔の医師が無料で医療をしたなどとの赤髭的行動は、有料の医療が相対的に現在よりはるかに高く、かつ税金がはるかに安かった。深作眼科でも絶対に必要な医療で、日本では未認可の薬を使う場合に、通常は全てを自費にしろとの指導がある。莫大な患者への負担になる。このような場合に苦渋の選択で、無料で病院の負担で施行することがある。また、患者から得られた利益のほとんどを患者の為に使うべく、設備の最新型への更新を早め、かつ技術更新に使う。この為に、医師は長時間の高度な手術治療で負担が多いにもかかわらず、医師の収入は低く押さえられる。高度な重装備の数々の手術を行なう医師のほうの収入が抑えられてしまう。むしろ、手術などしない軽装備のクリニックのほうが医師の収入が高い。
このような国の低医療費政策において、高度な知識と高度な手術技能を持った医師のモチベーションを高めるには、このような医師への社会の賞賛と患者からの大いなる感謝が重要となる。深作眼科にいらした患者は、その出会いを得たのは、宝くじで大当たりしたようなもので、それだけで出会いの神に感謝しても良いほどです。他の世界では高度なより精緻なものへの対価はより高くなるので、判断しやすいのですが。保健医療は同一価格であり、その価値が分かりにくいことがあります。
近年の国の政策で全く間違っていて、取り返しがつかない代表例は、教育の安易化と低医療費政策でしょう。子供への教育が大事なのは誰もがわかりますが、ゆとりの名の下に授業時間を減らし、判断のつかない子供に怠ける気持ちを覚えさせるのが良い教育なのだろうか?むしろ将来の世界で活躍する能力の基礎を作るチャンスを摘み取ってはいないだろうか?
低医療政策で崩壊した例がイギリスにありますが、かれらは近年医療費を増やすことでレベルの落ちた公的病院の質を上げる試みと、高度な医療をできる開業医を増やせるように修整をしている。一方で日本の医療費は抑制されたままでさらに厳しくなっている。これが高齢者への配慮の無い、あらたな高齢者負担が生じて、相対的に病気の多い高齢者が医療にかかれない事態さえ生じている。
私は政治家で無いので、現状の枠内でなんとかしなくてはならないと考えている。幸にして深作眼科は日本で最も多くの手術を施行している。赤字で施行する角膜移植や、無料で施行する抗VEGF抗体治療などを支えているのは年間5000例以上の手術施行によるバランスによる。しかし、利益のほとんどを患者に還元することで、世界最高の技術を持っている医師が低水準の収入で甘んじなくてはならない。これには患者の大いなる感謝と患者による現実的な医療への理解を、理性を持って行なう必要があります。お互いに精神的に支えあうことはできます。
よく、衣食足りて礼節を知る、と言います。これが現代では衣食は医と職になっているのではないでしょうか?人々にとって充分な高度な医療が保障され、生きがいと生活のための職が保障されることこそが重要です。現代の政治家にはこの実現が求められます。