毎日毎日、白内障多焦点レンズ、緑内障、網膜剥離の全国からの患者を手術治療

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深作眼科六本木院近くの東京ミッドタウンの夜桜

   僕が診療と手術で行ったり来たりしている横浜と東京はコロナウイルス蔓延対策で、近くの高島屋やそごうデパートや地下街も閉鎖となった。
 当院に勤務する医師の一人が、家族からつつかれたが病院もコロナ対策で閉じて自宅待機としないのか?とうらめしそうに聞かれた。これには僕も少々怒り気味に、君は辞めたいのか?と聞き返した。その医師の気持ちはわからないでも無い。でも毎日、日本中から失明の恐怖に苦しむ患者が殺到している。昨日までも毎日毎日、多くの白内障緑内障やいっときを争う網膜剥離の患者の多くを手術した。今日は手術日では無いし僕の休養予定日だったが、出勤して重症の緑内障患者を手術した。患者もコロナは怖いであろう。我々だって怖いのだ。でも例えば、10代の子供が網膜剥離で、大学病院で手術失敗して失明しかかっている患者などを目の前にすると、見捨てることは出来ないのだ。その時はコロナの事など意識から無くなり、目の前の患者を救いたい思いだけになる。
 医師というものは大変な自己犠牲の上に成り立っているのだということを患者などは理解しなくてはならない。特に優秀で真面目な医師は言葉になかなか出せないが、患者の想像もできない、命をかけて患者を救うおうとしているのだ。少なくとも患者はそれを理解して礼節を持って感謝を捧げてもらいたい。医療はサービス業では無い。サービスならその対価相当の医療サービスをして後は知らないとなる。自己犠牲のもとに損をしても人を救うという使命感が有るからこそ、どんな自己犠牲も払う覚悟で患者に接しているのだ。
 帰りに、深作眼科六本木院近くの、東京ミッドタウンの桜を見た。今日も丸一日激務だった。そんな中で夜桜を愛でながら、涙ぐんだ。いくら使命感が強く,人々への愛情が深いと自覚する自分でも、よく心が折れずに、こんな自己犠牲を強いる、激務が続くものだと、しみじみと思うのだ。