敷島の大和心を人問わば



敷島の大和心を人問わば、朝日に散りぬ桜花かな。
日本人の美意識の心はなんだろう、と考えたときに、朝日の中でひらひらと舞い散っていく桜の花びらのような、光と陰、微妙な色味と変化、移ろい行く瞬間の美しさではないか、と思えてきたわけです。
本居宣長でしたか、元の歌がありますが、これでは、朝日に匂う山桜花かな。というのです。朝日に美しく照り映える山桜花。という意味です。でも、なぜか朝日に散りぬ桜花、のほうが美しく感じるのは、普段接しているのが、山桜でなく、江戸時代から広まった言わば新種の染井吉野だからでしょうか。山桜は昔からあり、花と葉が同時の咲いてきます。老木も多く、古来の歌は大体が山桜を歌っています。一方染井吉野は花が最初に満開を迎えます。このきらびやかな満開から花が散って行く様が、美しく、その後に生命を育む葉っぱが出てくるのです。
日本人にとっては特に、桜は子供の頃より強烈に印象付けられた日本の象徴でもあります。学校や仕事など、あたらしい社会に入る時期が、日本では桜の開花時期と一致して、数々の思い出にひたれる時でもあります。
桜の季節は過ぎつつありますが、先日、日本三大名桜はこっちだと言えるような桜が素晴らしい場所を訪れました。
山梨県北杜市長坂の清春芸術村です。ここの理事長は銀座、パリ、ニューヨークなどで画廊を経営し、清春芸術村の美術館などで新しい芸術の才能を発掘している吉井長三氏です。吉井氏に招待を受け、12と13日と清春芸術村にお訪ねしました。吉井氏は知れば知るほど、飄々とした中に実に味のある方で、これが私の知る世界とは別の世界であるだけに、多いなる喜びを感じました。桜の後方にある建物の原型は、パリ万博で作られ、その後多くの画家のアトリエとして使われ続けた、蜂の巣というあだなの多角形の建築物で、今も保存されパリにあります。設計はエッフェル塔で有名なエッフェルです。この建物はエッフェルの原図から清春芸術村に再建されました。ここの内部の部屋では実際にパリで使用したフランスの画家の名前が扉に記してあります。ここでも、実際に画家のアトリエにも利用されています。
2枚目の写真のお隣は吉井氏です。この建物は吉田五十八氏の設計で梅原龍三郎画伯の旧宅を、清春村に移築したものの内部です。梅原画伯はルノアールに師事したものの、後年にはルオーに影響を受けて、帰国後の作風は大胆な線が特徴的です。ルオーを崇拝する吉井氏が梅原画伯に家族以上に可愛がられていたことは想像ができます。僕との間にある、ルノワールのブロンズや後方の梅原画伯の絵画がさりげなくかかっている場所は、まさに芸術の香りのする空間です。
桜の花が日本人の心を象徴させるものであろうことは、同時に日本人の憧れであろうとも思います。桜の花の下で、人々が集い、皆が持参したご馳走で食事し、酒を交わして、笑いあう。こんな人々が共に共通しあう喜びが伝統的な日本の心だったと思います。
日本の医療は国民皆保険に伝統的な良さがあります。かつて70歳以上の方は、老人保健として、医療費は無料でした。ところが、いつのまにか、1割負担となり2割負担となりました。4月からは、妙な後期高齢者医療保険制度などという名で75歳以上の患者さんは別の負担さえ作られています。フランスなどでは医療費は無料です。どうも、民主主義が隅々まで行き届いている国は、医療への負担が少ないようです。イギリスでさえ、医療費は基本は無料で、高度医療は患者さんの負担で選ぶことができます。国の構成が、国民が主体となっていれば、国民の基本権利である医療を保障するはずです。イギリスでは、戦争中では戦争の為であっても無職は無かったのであり、戦費にお金を使い国民を支えられたのなら、平時には基本権利の医療を誰でも受けられるはずである。と、皆保険が作られました。その後、世界の多くの先進国で、米国を除いて皆保険制度が作られた訳です。医療は生存権と同じ基本的権利のはずです。
しかし、75歳以上の高齢者を後期などと言う言葉をつけ、年金にさえ手をつけて天引きしようとしています。高齢者を大事にしない国はいよいよ危ないのではないでしょうか。我々の伝統的な桜を愛する心に、こんな仕打ちはおかしくないか?75歳以上のお年寄りなら、グランドシニア(偉大な年配者)とか、もっと尊敬の念と愛情を抱く名前をつけられなかったか?医療の根本はやはり、愛が無ければだめでしょう。たぶん後期研修医などの命名をした担当者が安易につけた名前でしょう。
我々は、この医療崩壊に互恵の念を持って対処する必要があります。近年は些細なことで人を責める風潮があります。患者さんも権利意識に目覚めたのは悪くはないのですが、医療は、所詮は不完全な科学なのです。良い点と悪い点とを比較しながら、選択する科学なのです。
我々は手術の結果で、世界で最も良い成績を上げています。しかし、それでも思い通りにならないこともあります。例えば、手術後に1.2の視力が出ていても、違和感があると不満を感じる人が稀にいます。おそらく、どんな結果でも不満を覚える方でしょう。その場合、時間をかけ説明することで納得します。しかし、私自身、毎日100人以上の患者を診て、20以上の数々の手術を毎日試行します。朝から夜中まで毎日、身を削りながら、患者に捧げているのです。私自身の時間も身も限りがあるのです。自分に最高の眼科医療を捧げる我々に感謝の念しか持てないはずです。99.9%の患者さんは私に手を合わさんばかりの感謝を示します。これこそが医師の喜びです。この互いの喜びを共通のものと、すべての患者さんが理解してほしいものです。
経済的活動を考えていたら、時には無料で、時には自分の予定を止めて、時には自分の身体が病気でもそれを押して患者に奉仕することなど出来ません。患者は医師に、医師は患者に尊敬と敬愛をお互いに持って行きたいものです。深作眼科はおそらく日本で最も相互互恵の精神が行き届いており、互いに敬愛の念を持った患者と医師との集まりであろうと思います。
4月3日に深作眼科開院21周年記念、兼、楠町本院1周年記念式典が近くの横浜ベイシェラトンホテルで行なわれました。700人程の参加者でワンフロア全部を使って盛況でした。
我々は、今や古き良き日本の伝統を守る、使命感で満たされた医療を可能としています。しかし、これに油断していると、日本で問題化している患者と医療側が疑心暗鬼で対立する構図が出てしまってはなりません。
今後とも、世界最高、最新、最善の眼科医療を提供する為に努力をしていきます。この為にも、患者側も敬愛と尊敬の念を持って、我らのこの素晴らしき眼科医療の施設を守っていきましょう。そして、眼科の病気を抱えている隣人、知人、家族を、悪くなる前に、早く深作眼科に紹介し、自らの幸せを分け与える様にして下さい。