美しきものを見る眼差し

建築家の安藤忠雄さんから、瀬戸内海の直島の本を送って頂きました。その中に見るべきポイントに付箋がありました。左の写真は地中美術館のウォルター、デ、マリアと安藤さんとの空間作品です。右は草間さんの南瓜です。
直島は、かつて三菱の精錬所から排気ガスで島の緑が荒れ果てた状態だったようです。約20年前に、ベネッセの福武さんが、アートの島を作ろうとし、島に緑を植え、美術館やホテルを作り、いまもさらなる発展中です。この結果今では、世界に知られるアートの島となっております。直島の多くの建築の設計を安藤忠雄さんがされて、建築とアートの融合が図られています。
安藤さんからのお誘いもあり、さっそく、週末の土曜朝の飛行機で高松に飛び、ボートで直島におもむきました。


現地では、安藤さん、吉井さん、細川さんご夫妻、イナックスの伊那さんなど以前からのお知り合いの方々も来てくれました。
この写真は左前に細川さんの奥様、安藤さん、細川さんと一緒に直島のホテルのひとつのレストランの昼食時です。細川さんの奥様は障害者の子供を救うボランティア団体の会長をされていて、今度の総会が大阪であるとのことです。



私は直島のなかで、部屋にアートを取り入れた、オバールという楕円形の形をした、島の頂上に立つホテルに宿泊しました。この写真は一番人気のオバールの403号室です。部屋の壁にはリチャード、ロングによる“人差し指によるエイヴォン川の泥の環”という題のアートが描かれています(Richard Long; River Avon Mud Fingerprint Circles)。リチャード、ロングはこの部屋に2週間滞在して、部屋のアートだけでなく、本館の壁や床にいくつものアートを作り出しています。素材のほとんどは直島周辺で調達しましたが、泥は故郷イギリスのエイヴォンから取り寄せました。
このオバール棟はわずかに6室しかなく、スイートは2室で、このスイート403号室は山の上から瀬戸内海の絶景も望め、人気が高くてなかなか泊まれないようです。今回は安藤事務所で押さえてくれたので泊まれました。
世界中からの観光客が多く、来場者の2割は海外からのようです。著名人も多く、アルマーニは日本に来ると必ず東京から直島に来て、このオバールに泊まるそうです。安藤さんが現在、ヴェニスで作っているピノ美術館の注文主のピノさんは、グッチやサンローランなどのブランドや投資会社など多くの会社の経営者ですが、この直島にも来たそうです。美術だけでなく安藤さんの建築を見に来るという目的のようで、私と同じです。
安藤建築は美術と共同で新しい空間を作る試みを随所で試みています。地中美術館では美術品を包む空間として、美術品に負けないくらいの感動をもたらす空間を形づくっています。

この木造建築も安藤さん設計です。南寺と呼んでいますが、中は芸術空間です。人間の持つ、視機能の生理学的な科学を利用しています。ジェームズ、タレルによる作品です。この南寺は、人間の眼が持つ、“視機能の暗順応”の理論を利用しています。中は真っ暗闇ですが、しばらくなかのベンチで座っていると、徐々に正面の長方形と両脇の光が浮かんで見えてきます。
また、地中美術館では、人間の目の機能の、“光の補色の理論”を応用しています。青をあてていると、白い面が黄色く見えます。逆に補色は反対色の影響も受けます。これを2箇所の展示で利用しています。区切った平面の色味を、他面の白い面の色での色味の変化により、区切った空間の色を変わって見えるようになります。
深作眼科は日本で最も多くの眼科手術を施行する施設です。白内障手術の多くの経験があります。白内障手術後の色身の変化を説明するのに、この色彩の補色理論が使えます。白内障は黄味がかった水晶体レンズを取り除きます。つまり、黄色いフィルターから物を見ていた患者さんが、白内障手術後は透明なフィルター無しの状態になります。黄色の補色は青色なので、黄色いフィルターの白内障を取り除くと、補色の青色が強調されます。つまり、白内障手術後にしばらくの間、少し青みがかって見える『青視症』は、この色彩の生理学で証明されます。
色彩の生理学をアートに利用することは、眼科と芸術の顕著な融合です。私もむしろ視機能の専門家としてタレルに負けない作品ができるはずです。
地中美術館でもモネが展示していました。モネの晩年の作品であり、かなり色味が抑えてあります。これはモネが白内障に罹患しましたが、手術を恐れ、ほうっておいた為に、ほとんど見えない状態で過ごしながら、絵を描いていたからです。
現代は非常に幸せです。深作眼科のように世界トップの手術成績を残せていれば、モネも安心して、深作眼科での手術をしたと思います。
現実に多くの芸術家の白内障手術を施行しています。日本だけでなく世界から手術希望の患者さんが来院します。深作眼科で白内障手術を施行したプロの芸術家が、しみじみと述べています。『色ってこんなに鮮やかで、綺麗だったのですね。』と。
直島には、町の中心地の本村で使われなくなった家屋を利用して、多くのアートの場所として再生しています。
この写真は直島で昔盛んだった、製塩業で栄えた大きな家の中に、千住博さんの代表作“ザ、フォールズ”を展示しています。日本画ですが、絵の具の垂らし込みとエアブラッシでの表現でアメリカで評判をとりました。

芸術があることで、そこの風景は一変します。直島は過疎化の進む島ですが、アートの島として世界に認知され始めています。この島の使われなくなった桟橋に草間弥生さんによる『南瓜』が置いてあります。これがあるだけで、風景ががらっと変わるのです。実に楽しい空間になります。
何事も絶対的な価値観は無いのです。世界は考え方や工夫でいくらでも変わるのだという、普遍的な哲学があるようです。



これはベネッセハウスの白い壁に、リチャード、ロングが描いた、403号室と同じ題名の『人差し指によるエイヴォン川の泥の環』です。安藤建築が建っていたところに、世界から直島に直接来た、多くの芸術家が、現地の直島で作製したものです。


これに比べて、地中美術館は、安藤さんと芸術家達とが討論しあいながら共に製作した芸術空間です。
代表作はウオルター、デ、マリアのタイム、タイムレス、ノータイムです。中央に大きな花崗岩の球体があり、大きな安藤空間の中で自然光が溢れています。周囲には27体の金箔をほどこした木製の彫刻を配置しています。一枚目の安藤さんから送っていただいた、写真の本のカバー表紙の左側の写真がそうです。

この写真は、地中美術館のなかにある最も瀬戸内の見晴らしの良い、福武さんの会長室の中です。手にしているのはウオルタ、デ、マリアの作品の中にも使われた彫刻です。福武さんは20年をかけて安藤さんとこれらの空間を作りました。

ベネッセハウスのなかには実にさりげなく多くの美術品が展示しています。
これは、フランスのセザールのコンプレッションです。これは金属のコップをつぶしてつけたものです。パリのカルチェ財団の美術館の地下に、車を小さくつぶしたものが何体も展示していました。これを見た人は、びっくりします。これがいったい芸術なのか?と。これが、セザールのコンプレッション(圧縮)の代表作です。セザールの他の代表作は親指の大きな彫刻です。山梨の清春芸術村にあります。吉井画廊吉井長三さんはセザールを良く知っていて、清春村にもセザールは滞在しました。
現代芸術は、見る人に戸惑いと、新しい感性、新しい驚きを感じさせるものです。パリのポンピドーセンターにある国立現代美術館で、男性用の小便器が置いてあり、これに“泉”という題名が付いていました。デュシャンという作家のものです。このような驚きを最初に行って、人々の心の中に驚きをもたらすのが、現代美術の潮流です。
これに比較して、レオナルド、ダ、ヴィンチは科学者であり、モネはロマンチストでしょう。私は科学者でありロマンチストであります。私にとって驚きは、普遍的な美しい世界をこの世に表現することです。
私は3歳から絵を多く描き始め、6歳から油絵を開始したように、早熟で芸術の世界に憧れを持ってきました。高校生時にはプロの画家になることも考えました。
この情熱は医学へ、特に眼科手術の分野で究極の世界を追及しています。私にとって、眼科の手術は、まさに芸術の世界であり、けっして妥協をしない完全な世界を追求する努力を常に続けています。世界の頂点を何度も極めた自分であっても、不完全なもの感じ取って、日々努力を重ね、より良い眼科手術の世界を追及しています。必死で救いを求めて来院する患者さんの為に、自らの命を削りながら、完璧な手術後の世界を提供すべく努力をしています。少なくとも、今の世界最高の芸術的な極みでの眼科手術を提供しています。眼について、特に手術が必要な困った方が周りにいる方は、できるだけ早く、何も手をつけずに、深作眼科を受診するように勧めてください。