悠久の時の流れの中で

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海外の眼科学会では、普段はなじみの無い場所で行なわれることも多くあります。写真の場所は、トルコのイスタンブールです。イメージが湧かないこともあり、事前に何となく不安感がありました。しかし、これは全くの杞憂であり、トルコがこれほど興味深い場所であることを後で知ることになります。
イスタンブールは、グラン、バザールで有名ですが、この言葉バザールは日本でもショップが集まった場所の意味で使われ馴染みがあります。しかし、そんな表層のことではなく、イスタンブールの以前の名前がコンスタンチノープルと知っていればかなりの歴史通かもしれません。
西洋の近代的な歴史は、ローマ帝国を抜きには語れません。イタリアのローマは全ての方に自明のごとく、知られた都市です。2000年も前の建物のパンテオン神殿が原型そのまま残っている奇跡は驚きとしかいえません。このローマも395年に西ローマ帝国東ローマ帝国に分裂しました。今のローマを首都とする西ローマ帝国は476年に滅ぼされましたが、東ローマ帝国といったビザンティン帝国は1453年まで続きました。
ビザンティン帝国の首都であるコンスタンティノープルは第2のローマとも呼ばれ、ヨーロッパの統一理論のローマ理論と呼ばれていました。ローマ字も、ローマ人の使ったラテン文字に由来します。今や医学の標準語である英語はローマ字表記であるのは言うまでもありません。日本語にこれを応用したのは室町時代ポルトガル人宣教師です。つづり法にヘボン式がありますが、このヘボンのお墓は、横浜山手町の外人墓地の中にあり、丘の下のほうにいまでも大きな墓が現存しています。キリスト教もローマの国教になってからヨーロッパ中に広がっています。
もともとキリスト教の国である、東ローマ帝国の最も古く壮大である教会が今でもあります。アヤ、ソフィアと言いますが、現在の外見はイスラム様式のミナレットという高塔が付け加えられ、キリスト教のモザイク壁画は漆喰で塗りこめられたのが、今は修復され見られます。キリスト教イスラム教が混在している歴史を感じさせます。1453年の征服が特別な大砲で征服したことにちなんでトプカピと呼ぶ、ハレムや宝物殿でも有名なオスマン帝国のトプカピ宮殿も近くにあります。
この、トルコの最も多くの白内障手術を行なっている病院で、その院長が、私に嬉しそうに話しかけてきました。アメリカで続けて発表した、深作式の白内障手術方法を基本的に習い、習得してトルコでの最新式白内障手術として行なってきたとのことでした。私が、馴染みの無い国と思っていたのは、思い過ごしでした。私の開発による近代的な白内障手術方式が、ビザンチン帝国とオスマントルコ帝国の長い歴史を持つ国で、見事に花開いているのを聞くのは実に名誉なことです。
私の開発した手術方法だけでなく手術の器具に深作式の名前がついているのが多くあります。面白いのは、名前が一人歩きすることがあります。アメリカの学会で、インドやロシアの機械メーカーも出品しています。先日のアメリカ、アカデミー眼科学会という世界で最も権威ある学会で、インドのメーカーとロシアのメーカーが知らないうちに、フカサクの名前をつけた眼科手術器具を発売していました。これはアメリカとヨーロッパのメーカーが作っている深作式の器具のコピー商品でした。知らないうちに、フカサク式何々と手術器具が出ているので、不思議そうに眺めていました。メーカーの会社員が私に説明をしていて、私のネームカードを見て、初めてオリジナルの開発者と分かったのです。面白いのはその反応で、悪びれることも無く、『あの有名なドクター、フカサクはあなたか。お会いできて光栄です。』と握手を求めてきました。私の名前を使うことや手術機械のデザインを許可したわけではありませんが、インドやロシアの国の体制を考えたならば、まあいいか。と微笑みながら彼らの出す手と握手をしました。
世界の反対側で、数千年の歴史を考えると、この壮大な教会を作った時に、日本がまだ未開の土地だったことを考えると、かの地の時の流れがゆったりと『悠久の時の流れ』の中にあることを思わずにはいられません。歴史を紐解くことは、自分の生きる意味を問い直す良いきっかけでもあります。トルコのイスタンブールはそんな気持ちにさせてくれる街です。