広い世界を知る志と本物を見る心



2008年3月18日
人は常識という既視感に似た感覚に縛られています。初めて見るものや会うものに対してさえ、従来からの知識や偏見により先入観を持つものです。常に第三者として偏見無く判断するのは、よほどの知的な訓練を受けているか、今までに偏見を持つ必要の無かった幸せの生活が続いた人で無いと難しいでしょう。
写真の初めは、この絵を知らなくても何となく分かりますか?パリのピカソ美術館に展示している絵で、ピカソの代表的な絵画です。でも、もしも、これが、我々の病院に展示していたら、誰かの悪戯書きにしか見られないかもしれません。
ピカソは実に多作で、数万点を描いているとも言われます。宿やパブの支払いにもちょっとした秀作をあげたこともあるようです。私は、ピカソが好きな画家のひとりですが、やはり最も気に入るのは、自分の世界を表現しようとして、その時代により異なる表現や色彩に挑戦し続けたことでしょうか。実にアグレッシブで挑戦する世界は驚くほど広範囲の美術表現に渡っています。
我々の眼科医療と比べると、共通点も見られます。眼科の手術でも、何々の専門家と言われることも多いのですが、患者さんにすれば、いくつもの病気を合併していることも多くあります。何かに限定されても現実には患者さんが困ることになります。白内障の経過を見ているつもりが、緑内障がどんどんと進行して取り返しのつかないこともあります。外傷性白内障でレンズを支えるチン小帯が切れていて、続けて硝子体手術を必要な時に、他の日に再度追加手術をするのでは患者は迷惑を被るし、結果も思わしくなくなる例があるでしょう。白内障や硝子体手術に角膜移植が必要な例でも困ることはあるでしょう。同じひとつの眼の疾患でも非常に多くの病気があるのです。アメリカの医学部では、選択するのも習得するのも最も難しく、競争が激しく成るのが困難なのは眼科外科医です。それは、扱うのが顕微鏡下で扱うような微細な組織で手術技術の習得が困難であるだけでなく、眼科は全身疾患の表れというくらいに扱う病気の多様性が広く全てをマスターする努力は並大抵ではないからです。その点、我々の施設は、全ての眼科疾患で世界最高レベルの設備と技術を20年以上も維持してきましたし、今後も維持し続ける努力を続けます。
さらにもっと代表的な万能の天才として知られる、有名な存在にイタリアのレオナルド、ダ、ヴィンチ(ダヴィンチ村のレオナルド)がいます。彼は、20数枚の絵画しか残さず、真作と分かっているのは8枚しかないと言われます。非常に寡作の作家ですが、彼は、真の絵画を表現するために人体の研究を幅広く行なっています。解剖を多く行ない、間違いが多くあるものの、初めて行なったものの観察力は敬服に値します。私も医学部では身体の半身ずつ2回の解剖で、1年間かけた全身解剖実習は、医学部としては非常に恵まれた実習でした。もともと手術に興味があったために、解剖でもいつも最終の真っ暗になるまで残って実習をしていました。最後に実習室の戸締りをして帰るのですが、外に出るドアを開けて、反対側の奥にある電気を消して出ようとすると、なぜか突然にドアが閉まり、月明かりの中だけで数十体の解剖遺体の中で取り残されて驚いたことも記憶にあります。ダビンチの頃だけでなく、現代でも真実を追究しようとするには、解剖などの基礎的訓練が重要であると思え、共通の体験をしていることでよりダビンチを身近に感じます。
写真の絵は言うまでも無く、世界で最も有名な、モナリザ、もしくは地元ではそのモデルの名前から、ジョコンダとも言われています。レオナルド、ダ、ビンチはフィレンツェ郊外のビンチ村に生まれました。多くの分野で活躍していますが、絵画は少なく、其の内でも、死の床まで持っていた絵は、『聖アンナと聖母子』と『モナリザ』だということです。この絵はパリのルーブル美術館にあります。
有名な祭壇画の『岩窟の聖母』もルーブルにあり素晴らしい絵です。しかし、祭壇画としては、弟子が書き直した、岩窟の聖母があり、これはロンドンにあります。明らかにダビンチの筆使いとは異なり、これをダビンチ作としているロンドンの美術館関係者の神経を疑います。つまり、伝ダビンチ作が多いのです。
世界で最も有名な絵のひとつの、モナリザですが、私は学生時代より、ルーブルに何度も見に行っています。昔は、額装のままで硝子も入らず、目の前で見れました。しかし、その後に、狂信者により、絵を傷つけられたり、盗難にあったりして、そのたびに厳重な取り締まりになって行きました。むき出しから、次に額に硝子が入り、次いでモナリザだけ他のダビンチの絵から離れて別の部屋に飾られ、さらに、現代では厳重な防弾硝子で守られ、写真やビデオを取ってはいけないとされます。
このような、何度も変遷するうちに、妙な印象を受けました。ルーブルでも、モナリザはじっくりと見る習慣が有るのですが、どうも絵ごとに何かが違う印象を受けるのです。不思議な気がしていたのですが、最近納得しました。モナリザは実は何枚も、ルーブル製の複製があるのです。通常の眼ではわからないくらいの精密な複製画であり専門家が模写したのです。しかし、絵画の真の専門家が見ると、何枚も並べて比べた時に、絵から受ける本物が持つ本物独特の印象が違うとのことです。なぜ、絵が酷く傷つけられたり、盗難にあったのに、傷跡も分からず、またいつもモナリザルーブルにあるのかの理由が分かりました。しかし、いまや、小説のダビンチコードなどに触発されたファンが鈴なりでありしかも、分厚い硝子で遮られているモナリザの絵は印象もくそも無い無残な状況です。まるで、清水寺の紅葉時の特別拝観でみる観音様を拝むがごとくです。全ての者がグループツアー化しているようです。本物を求めている者には不満が出そうです。
なかなか現在は本物が分かりにくい時代です。眼科手術でも本物を求めても、受けてみないと結果が分かりにくいものです。昔から言われるように、本当に良い眼科手術を受けたいなら、労を惜しまずに、実際に手術を受けて満足している患者さんから直接聞く、口コミの信頼性が大切です。その点では、患者さん30万人のアンケートで、医療満足度10点満点の我々の施設は自信を持ってお勧めできます。