あっちむいて、ほい




あっちむいて、ほい。の遊びは、日本中で子供の頃に経験した遊びでしょうか。
誰もが、何のことか、普通のことでしょう、と思いますか?
人は自分の経験の中から判断します。学習によって間接的な経験をすることも可能ですが、感情は学習できません。
もしも、あなたの子供さんの目の反射が、目の奥から白い反射があったらどうします?ひょっとしたら網膜芽細胞腫で眼球を摘出しないといけなくなるとしたらどうしますか?動かない義眼を生涯持つ苦しみは、他人事ではありません。もしも、あなたが子供の頃、ふざけていて他の子の持っていたハサミで自分の目を突かれ失明し、そのまま真っ白になった萎縮した眼をしていたら、思春期に自分の顔を見られるのに苦痛を感じますか?もしも、緑内障で手遅れになり、失明しただけでなく、真っ白になった小さな萎縮した眼を髪の毛で隠したくなりますか?網膜剥離で治らずに眼球萎縮の上に、動かない義眼をつけ、気持ちがすさんだりしませんか?
どれも、実際にあった患者さんの例です。萎縮した眼球や、動かない義眼による精神的苦痛は、本人や親にしか分からない、他人にはうかがい知れない苦しみなのです。
二重を作ったり、まぶたの下がりの眼瞼下垂への手術などの眼の周りだけでなく、顔の皺などの顔の形成手術は世界的にはどこで治療しますか?アメリカでは典型的ですが、世界的には顔の形成手術は眼科形成外科の専任事項です。私は、幸にアメリカで眼科形成外科のトレーニングも受けており、顔の形成外科も 長い間、日常の手術として施行しています。
日本ではあまり知られていないようですが、眼球摘出後に、ハイドロキシアパタイトを埋め込んで、健常な他眼のように、動く義眼を作成する手術は、眼科形成外科の代表的な手術技術です。我々は、日常の手術としてこの『動く義眼』手術を施行しています。日本では眼科形成外科の専門領域が存在しないために、動く義眼手術は、我々以外は日常治療として行っていません。動かない義眼どころか、まぶたが下がっていても、目が落ち窪んでいても、問題となっていません。まさに、本人しかこの問題の苦しみを理解していないのです。 
さて、『あっちむいて、ほい。』では、3枚目の写真では、どっちを向いていますか?そうですね、右を向いていますね。両目とも向いていますね。『あっちむいて、ほい』なんて、簡単なことを何で言うのか?って思いますか?もう、気づきましたか?まだ、気づきませんか?この方は、先ほどの例で紹介した方のひとりです。子供の頃に、右眼にハサミが刺さり、失明し真っ白になり、 成人してから見かけを少しでも良くしようと、白くなった角膜に黒い刺青を地元の眼科で入れられたのです。それ以来、髪の毛で右眼を隠し、人の目を気にして正面から見れなかったそうです。そして、悩んだ末に一日かけて遠方より新幹線で来院し、深作眼科を受信して、ハイドキシアパタイトを使った、動く義眼手術を受けたのです。
この方は、手術後しばらくして、再診しました。不覚にも私は、この方が何の病気か、ぱっと見て分からなかったのです。動く義眼の動きは、眼科形成外科の専門家でもある私も分からないくらいに自然だったこともあります。それよりも、その方が、髪型を右眼も見えるように変えていたことと、何よりも以前は暗く沈んでいた表情が、再来時はニコニコと明るい表情に変わっていたからです。私をじっと正面から微笑で自信を持って見つめていました。
動く義眼、などなんてことない、と思う方は、目による外見の問題による精神的苦痛を持たない人がいえる、ある意味で無自覚に他人を傷つけているのかもしれません。どんな苦しみも、本当には当事者にか分からないのは、普遍的な真実です。日本でこの手術を行うのは経済的には成り立ちません。しかし、たとえ赤字でも、この方のように、人生を一変させ、明るく人生を楽しんでいくことのお手伝いをできたことは最大の喜びです。我々の、究極の目的は大げさでなく、人々の幸せの為に貢献することなんですから。