イッヒ、リーベ、ディッヒ


外国の言葉を勉強するときに最初に覚える文章のひとつに、ドイツ語ならイッヒ、リーベ、ディッヒ、英語ならアイ、ラブ、ユーがあるでしょうか。日本語の、愛してる、が言えなくても、外国語なら言えそうです。
医学部ではドイツ語が必修で、教養課程の2年間で勉強します。しかし、今や、医学は英語が共通語となりました。海外の学会で、ドイツの医師に、日本では医学部で、ドイツ語を勉強することになっている、と、言うと、『なぜ?』と不思議そうな顔をされたものです。
ドイツ語を勉強するのは、やはりドイツが日本の医学の発展に果たした歴史的な貢献とイメージがあるためでしょう。実際に、今でもドイツの医療はアメリカと並んで高いレベルを保っています。昔は高かった英国は、ずいぶんと下がってしまいました。この原因のひとつに、社会主義的な医療政策と、医療費を大幅に削減した、サッチャー元首相の政策が挙げられます。
日本の皆保険制は世界的には珍しいとも言えます。健康に大きく寄与していますが、同時に高い医療レベルを保つためには、経済的な裏づけが大切です。近年の日本の低医療費政策は将来の医療レベルの荒廃という問題を招く危険性を含んでいます。理想に現実の医療レベルを近づけ、高い臨床医療レベルを保つには二つの大きな柱があります。
ひとつは、世界的にも低い日本の医療費を、国レベルでもっと引き上げる努力をすることが重要です。さらにひとつは、米国で著名な木村健先生も指摘しているように、臨床医療のレベル評価を、教育機関である文部省の管轄下の大学から、厚生労働省管轄にて公正な評価システムへと変えるべきです。教育と臨床医療とは本質的に異なるものです。アメリカで改革が進んだような、専門医の教育や評価を公明正大な評価システムに変更することは高い臨床レベル獲得に重要です。
患者さんが望んでいる治療は、高度に洗練された臨床力や手術力の技量であり、基礎研究のデーターの対象になることではありません。鍵穴手術で有名な脳外科の福島先生も強調してましたが、臨床で大切なのは、一腕、二腕、三に腕です。医学教育に人間性云々という議論は耳に心地よく受け入れやすいのですが、医療は言葉のサービス業だけではありません。何はともあれ、臨床の技量が、特に眼科外科医にとっては手術の腕が最も重要です。また、経験的に手術の腕が芸術的レベルまで自己研鑽を積んだ医師は、人間性にも患者さんを本質的に大切にします。それは時に厳しい言葉であっても、うわべの優しい言葉では無い、患者さんに身を削りながら、血を流しながら身を挺する覚悟をしている、真の優しさを感じるはずです。
日本では本音と建前を使い分けるとか、主張を控えるのが美徳とされやすいですが、医学では患者さんの病気を治すという、真剣勝負のはずです。同じく日本人の美徳であった、本音で立ち向かう武士道の精神がすたれて久しいような気がします。伝統的に日本の医師は薬師とされて、お坊さんでした。本音を語らずお公家さんのようでしょうか。木村先生や福島先生や私のように、米国で多くの医療を学んだ者は、本音の対応が逆に美徳とされ、主張することは真実を知るために絶対に必要な美徳と考えています。でも、これも日本では武士道の道であったはずです。先頭を走るとか、本音を言うと、日本ではとかくけなされたり、中傷がありますが、武士道は正々堂々としております。我々は、まさに、医学の本道を歩んでおります。
ドイツ人は朴訥で、一般にあまり耳に心地よい言葉もしゃべりません。私が道を聞いたときに、あるご老人はにこりともしないで、一緒に来て、と言って、20分も歩いて分かりにくい道を先導しながら連れて行ってくれました。その後に、少し恥ずかしそうに微笑んで、ヴィターシェーン(それじゃ、)と言って去っていきました。何かジーンとくるような泣きたい様な小さな感激がありました。対照的な、大好きな国のイタリアで多く体験した、明るいけどいい加減な対応に比べると、いかにも国民性です。そんな愛想ない実質的な好意を感じるには、注意深い感性が必要です。医療でも同じような気がします。
ドイツの医療は、アメリカに並んで眼科のレベルが高いのですが、特に網膜、硝子体の手術が優れていて、世界でも最も進んでいます。私は、幸にドイツで、網膜、硝子体手術の研修を何年にもわたり経験できました。特に、ドイツでも最高峰のルッカ先生やエッカード先生のもとで世界最先端の網膜、硝子体術者となりました。日本では、コンタクトレンズ下で網膜の部分を見て、コンタクトを回したり、交換して手術をするのが一般的です。これでは、アフリカ像をみるのに小さな窓から観察して描写するようなものです。ドイツの網膜硝子体の専門家の8割はBIOMと呼ぶ、網膜広範囲観察システムで網膜全体を観察しながら手術をします。ドイツで専門家になった私も、全例でBIOM下にて観察しながら手術施行します。ですから、深作眼科での、網膜剥離の手術では治癒率100%なのです。
白内障でも、最初からアメリカの教育を受けて、日本では一般的でなかった超音波乳化吸引術を習得したり、日本では全く認識されなかった、近視矯正手術もアメリカで1989年から習得して開始しています。ですから、レーシックも開発段階から参加していて、日本でも、1994年から日本で最初に開始しているわけです。レーシックは多くが美容外科関連施設が多くの宣伝をして大量の手術をしています。時にはとても安く施行しています。しかし、レーシックこそ手術なのです。ワンパターンの安上がりの手術として受けた方で、あとで後悔するのでは遅いのです。医療は不完全な科学です。我々のような、良くも悪くも開発段階からレーシックそのものを熟知しています。レーシックで世界最高レベルの機械と技術ですが、また他の眼科手術でも全て世界トップレベルで施行している施設だからこそ、大事な眼を安心して任せられるのではありませんか。近視矯正手術を美容外科と同一視してはなりません。
世界に多くの新しい手術方法などの医療を発信していますが、自分に不足していると思えば、世界最先端の場所へと躊躇無く習いに行きます。
例えば、日本には無い眼科形成外科ですが、これもアメリカで研修を受けています。動く義眼手術は世界では、眼科形成外科医が普通の手術として施行しています。しかし、日本では我々だけが日常の治療手段として、動く義眼手術を行っています。義眼が動くことで、患者さんの精神的苦痛を取り除いています。経済的にはむしろ赤字で何の特にもなりませんが、患者さんの喜びは我々の最大の報酬と思っています。
サービス業が非常に発達した日本ですが、医療は言葉のサービス業でも、微笑みを売りにするラウンジでもありません。脳外科の福島先生も同じ事を言っていましたが、医療は腕が全てであり、病気を治すことが何よりも優先されます。優しさとか親切さとかも大切ですが、最高の腕があることが前提であり、無ければ患者さんの期待を裏切る結果となりかねません。ですから、我々はとても厳しい十字架を背負っています。身を削り、血を流し、人々の為に自らを投じたキリストのごとく、真剣であればあるほど厳しい言葉がでるのです。
写真は、2月の寒いフランクフルトの古い町並みです。エッカート眼科で、昼間は早朝から夕方まで毎日手術室に詰めていて、夕方に街中に出たときのほっとしたときのショットですが、寒さが身にしみて、同時に世界最高の、網膜、硝子体手術技術が身体に染み込む思いで、武者震いを覚えていました。