眠れぬ夜の為に


以前、細川さんが総理を退任してから修行し、陶芸のプロとして大成されたことを紹介した。今、京都で老舗の道具屋さんで展示会をしています。これも素晴らしいのですが、僕は、細川さんの書には今までの蓄積があるためか、本物の芸術の輝きがより感じられます。これも、以前紹介した、日本とオランダの修交400年記念の会が会場の関係でロッテルダムになりそうで、細川家の多くのものが展示されます。もっとも、パリでも計画されていて、日仏修交150年記念です。吉井さんの尽力でパリ、サンフランシスコでも開かれるようです。自己を表現することが芸術ならば、生きることは常に芸術性を含んでいるのでしょうか。
私も、しばらく休んでいた幼少の頃よりなじんだ絵画の世界に戻ってきました。欧州で学会が有るときなど、パリのモンパルナスなどに滞在し、街角にいくらでも絵になる風景があるのです。寸暇を惜しんで画を描いていると、自分が芸術の世界に引き込まれることを感じます。

フランスのモンパルナスでピカソやモヂリアニ、藤田嗣治などの多くの芸術家が活躍していた頃、夜のカフェのロトンドやドームなどでは、眠れぬ芸術家が日夜出没していたのだろう。お金が貯まると、芸術家は遅くまで開いている隣のレストラン、クポールで食事をした。
欧州の学会の後に、パリで過ごした私は、街の風景をスケッチして疲れた身体で、クポールで、パリの美術界で著名な吉井さんと、食事をしていた。しばらくして、隣に妙なフランス人が座った。彼は4人前はありそうな大きな皿を頼み、中には多くのカキやえびが並んでいる。やけに親しそうにこれを食べないかと誘う。自分の上着を私の横に置くので変とは思ったが、それよりもこちらを向いて話しかける時につばが飛ぶのが気になった。吉井さんは私の上着の上に服を掛けたので、何か取られるのではないかと気が気でなかったと後で告白した。我々は変なフランス人にかまわずに、金が入るとこのクポールで食事をしていた藤田やピカソなどに思いをはせて、モンパルナスの夜を語り合っていた。すると、大皿とワインボトルを半分残して隣の男は席を立った。そのまま慌てるでもなく、悠然と出口に歩いていった。私は漠然と、あの男はレストランの関係者なのかなと思っていた。すると、あわてて3人の従業員がその男の後を走りながら追いかけた。なんと、隣の男は無銭飲食の男だった。あまりに堂々としていた。しかし、私の上着に貴重品を入れてなくてよかった。パリは大体が治安は良いが、地下鉄やモンマルトルの移民が多い地区でスリに会ったことがある。
昔は学会の後で、背広のまま貴重品も持ち歩いたところ、モンマルトルのサクレクール寺院からの帰りに、マスタードスプレーを顔にかけられ、手荷物を奪われそうになった。同行のアメリカ人医師が大声を出して追っ払ってくれたが、アラブ系の10代の子供だったようだ。この後、貴重品をできるだけ持ち歩かないようになり、かばんは持たなくなり、財布などだけポケットに入れるようになった。
地下鉄ではジプシー風の男の子が新聞を突き出してきて、注意を引いているうちに、他の女の子が私のポケットの中に手を入れて財布を取ろうとした。10人くらいの小中学生くらいの子供たちだが、よくスリの被害はあるようだ。この後、手を入れられないように、ホテルの小さなフォークをポケットの中に入れていた。しかし、これもすかっり忘れていたところ、自分で忘れて思わずポケットに手を突っ込み、結構自分が痛い目にあったものでした。

フランスは食の文化が進んでいるだけあり、おいしいレストランが多い。この夜の食事はStresaストレッサというパリで最高のイタリアレストランで食事した。もともと、フランス料理は中世まで単なる田舎料理しかなかった。そこへ、イタリアのメジチ家からフランス王家に輿入れした皇后が多くの料理人をイタリアから連れてきて、これが今日のフランス料理が世界3大料理といわれるグルメの国の元となった。フランス料理はソースを多用したり、バターを多く使うために、オリーブ油を多用するイタリア料理のほうが日本人には馴染みやすい。その中でこのストレッサは多くの画家や俳優などが集まり予約が取りにくいほどの質を保っている。
眠れない夜こそ、このようなおいしい食事をゆったりととり、眠くなった時に眠るのが健康的であろう。
ところが、日本では最近不眠症が非常に多く、内科や精神科で、安易に睡眠薬を処方されています。ちょっと悪いとレンドルミンアモバンなど。マイスリーは軽いから心配ありませんよ、などと手軽に処方される。依存性も余りありませんよとさえ言われて、気軽に始めてしまう。

およそ、効く薬には必ず副作用があると認識すべきことが、忘れられているようです。睡眠薬を多用することは、薬物依存をつくり、より多くの困った、とくに精神症状をおこします。
私は海外に行くことが多いのですが、外国に出かけてすぐに朝から学会や手術をしなくてはならない。また、日本に戻れば多くの患者さんを診て、多くの手術をこなさなければならない。まことにきついスケジュールがあります。日本とアメリカやヨーロッパなど海外と行き来し、かつきついスケジュールをこなすには時差ボケは大きな問題です。眠れないと翌日に響くので、眠れないことへの恐怖心がありました。このために、以前は私も睡眠薬を何種類も使っていました。睡眠薬を続けて使うと、だんだんと効かなくなり、量が増えてきます。また、夜になると、もしも眠れなくなったら、明日に影響したらどうしようと、いつも恐怖がわいてきます。
いつかテレビの徹子の部屋で、ミッキー、カーチスさんが、睡眠薬マイスリーを、明日の用事で睡眠不足がないように、“保険として軽い副作用の少ないマイスリーを服用している”と、述べていました。まさに、これこそ、本人が気づかないで陥った薬物依存の状況です。なぜなら、僕も全く同じ感覚だったから理解できます。保険として、とはそこに不眠症の眠れないことへの恐怖があります。軽い副作用の少ない、とわざわざ言うのは、自分自身に悪いものではない薬だと言い聞かせたいのです。
その後、私の睡眠薬マイスリーは量も増え、不眠への恐怖から逃れたいことで、毎夜眠る前に服用しました。そうこうして、ひじやひざの裏に痒い発疹が出始め、これが身体にも広がってきました。皮膚科での診察では、石鹸での洗いすぎといわれ、確かにプール、ジム、睡眠前と3回もシャワーを浴びていたので、皮膚科ででた軟膏を使ったわけです。しかし、直らず、発疹は酷くなり、痒くかきむしってしまい、自分がアトピー体質に変わったかと思ったものでした。さらに、やけにイライラすることが増え、自分はどうしたんだろうと不安になったものでした。
しかし、自分は医師であり、この原因を追究することにしました。発疹の出る原因を調べ、因果関係から、おそらく睡眠薬を多く飲むことで薬疹が出たかもしれないと結論つけました。薬をきっぱりと止める決心をして、もう眠れなくても良い、起きていれば良いと、結論し、眠れない恐怖に打ち勝ちました。1週間が過ぎてから、週末にゴルフをしたところ猛烈に眠くなり、死んだように何時間も寝ました。それでも眠りへの恐怖感は夜になると出ました。1ヶ月を過ぎると不眠症が嘘のように、夜にベッドに入ると、すぐに眠れるようになりました。それでも、夜の睡眠薬への誘惑は感じるのです。薬物、アルコール、タバコなどを断つのは、この誘惑に負けないことです。少しでも使用すると、必ず依存性が出ます。この眠れないことへの恐怖は、睡眠薬の弊害をしっかりと納得することで克服できます。それにしても、薬物への依存性とは恐ろしいものです。
睡眠薬は中枢性の薬効を持ちますので、睡眠薬を服用することで、身体から本来出るはずの、睡眠ホルモンのメラトニン分泌が押さえられます。つまり、睡眠薬不眠症を引き起こしているのです。睡眠薬はまた中枢性の薬なので精神症状もおこし、不安症も引き起こしたり、恐怖感が起こるだけでなく、非常に怒りやすくイライラしたり、逆にうつ状態になり、なにもかも嫌になったりすることもあります。
睡眠薬を完全に止めて、数ヶ月が過ぎてからは、不眠症は完全になくなり、精神上の不思議ないらいら感がなくなりました。自分自身の睡眠薬服用の経験から、多くの患者さんが睡眠薬に頼っている現状を何とかしたいと、時間を割きながら睡眠薬を止めさせる指導をしています。およそ医師は使命感で選んだ仕事ですから、一銭にもならない事ですが、睡眠薬、安定剤、タバコなどを止めさせ、身近な誘惑と害悪から患者を救う努力をしています。
薬であっても、およそ薬効のあるものは必ず副作用があるものです。医学はつねに良い点と共に悪い点もあるのです。このバランスを常にチェックしながら、とくに副作用を悪い点を気にしながら治療をする必要があります。