光陰矢の如し、学成り難し



光陰矢の如し、少年老いやすく、学成り難し。
光は日で陰は月の意味で、月日の経つのは早いことを意味し、しかも学問は見極めることは難しい、と昔の賢者は述べています。
昨日やっと今年のASCRSアメリ白内障屈折矯正手術学会へのビデオDVDを提出しました。毎度のことながら、多くの手術ビデオをチェックして、編集し英語の原稿を書き、自分で英語のナレーションを吹き込みます。バックの音楽の選曲している頃には、へろへろになり研究室のマットに倒れこんで短時間の爆睡をしました。その後一気に英語のナレーションを終わらせて提出できました。おそらく、自分で全てを行なっているドクターはほとんどいません。変な話ですが、放送局の編集の仕事なら通常のプロに負けないと思います。
いつもの事ながら、この準備に半年ほどかけるために、毎日が受験生のような追いまくられる気分です。毎日百人ほどの患者を診て、毎日数十の手術を終了すると、学会の準備に使えるのは夜中と週末だけです。締め切りに近くなると、きまってある悪夢を見ます。いろいろとバリエーションはありますが、医学部の卒業試験が通らないといった悪夢です。実際は留年もしないで医師になっているのですが、夢の中では医学部の6年生なのです。試験のときに別の部屋に間違って入り、試験が受けられなかったとか、試験場に近道しようとして行き止まりで試験を受けられなかった。など、夢の中でもがいているのです。いつものことなので、夢の中で、これは夢だよなと実に妙な感覚になることもあります。
夢は現実を投影するとか、過去のトラウマを表すといいます。これを利用した精神科の夢療法や夢判断もあります。私はもともと全身の外科医として大学病院で仕事を始めたのですが、日本では給料も安く週末に精神病院でアルバイトをしまして、精神科の患者さんの診察と治療についても3年ほど経験しました。
人間の精神は実に面白く、困難な精神状況に入ったときに、病的な症状が起きやすいわけです。これは、一種の防御反応であり、戦いを選ばずに自分を守る手段でもあるわけです。これは誰でもあることです。うそも方便、という言葉がありますが、これも身を守るためには、社会的悪さえ選んで自分を守ろうとする、精神神経症の一変形です。しかし、これを病的としてしまうと、日本の政治家のほとんどは病人になってしまいますね。精神疾患も社会の成熟度によって定義がかなり変わってしまうわけです。
写真は私が名誉永世会員である南アフリカの眼科学会でのショットです。写真の左側は会長のプレトリウス医師で、南アの首都のプレトリアは彼の先祖の名前をつけたものです。私と間の紳士は私の先生であるソルントン医師で、ASCRSの米国眼科学会の会長です。私の反対側は白内障手術後に眼内レンズを入れることを1950年から開始したエプシュタイン先生です。最初が1949年の英国のリドレー先生ですが、それに続く世界で2番目の快挙です。南アフリカは高い教育と先取の気概が高く、心臓移植手術を最初に行なったバーナード医師ともお会いしお話出来たことを覚えています。日本国内にいるだけだと、教科書でしかお目にかかれないのに、海外では世界的な先達の医師から直接的な影響を受けられることは素晴らしい経験です。
今日も、ヨーロッパの眼科学会の会長からメールが入りまして、英語の眼科手術の白内障部分の分担執筆を依頼されました。快諾して、来年出版の予定です。深作式の白内障手術方法は特にヨーロッパでは有名で、先日もフランスとドイツ、トルコの病院を訪ねたところ、多くが白内障手術を私の教科書やビデオで勉強したと聞いて感慨を持ちました。
眼科学会の準備に追いまくられて悪夢を見ることは言いましたが、完成した後の、なんともやり遂げた気分の良いのも事実です。山に登る人に共通するのでしょうか。高い山ほど挑戦しなくてはいられない者もあるのです。それにしても、20年以上世界の眼科学会で挑戦して、多くの賞を受賞しても、まだ足りないのです。まさに、光陰矢の如し、学成り難しです。
海外の学会では終わったあとに普段出来ない経験もします。南アではサファリツアーですね。下の写真はソルントン先生ご夫妻らとサファリ途中での写真です。こんなリラックスを楽しむために、厳しい学問にも挑戦しているのかもしれません。