ゴルファー、イン、パラダイス



日本でも、ゴルフは大人気ですが、少し年齢が上であり、もしくは経済的負担に耐えられるスポーツのような見方をされます。しかし、ゴルフの発祥は16世紀ごろ、オランダの船待ちの船員が凍った氷の上で、石を木の棒で打つ遊びをして、コルフと呼んだことが最初とされています。これはオランダの自然史博物館で見ましたし、実際に昔の16世紀の油絵に、凍った湖で、石を棒で打って遊んでいる場面を美術館で見ました。つまり、そんな発祥の遊びですから、本来は子供のころより気軽に遊べたらよいようにも思えます。
先日米国LPGAゴルフツアー2戦目はポーラ、クリーマーが優勝して幕を閉じました。日本人も多く参加しましたが、世界との差はまだ大きいようです。このLPGA会場のコオリナゴルフコースは当地ではカポレイと並んで整備もよく、人気のゴルフコースです。
上の写真は、年末に少し時間がとれたので、田舎に帰る感覚で翌日には、ここコオリナでゴルフを楽しみました。通常はツアーで来る日本人が多く、半分地元感覚の個人での私にはスタートはとても早いスタートしかとれません。コオリナの通常料金はかなり高いのですが、米国の運転免許などのIDを持っている私は、ローカル人扱いで、5千円ほどでプレーができます。
プロゴルファーのレベルがアメリカよりかなり落ちる日本ではこのプレー料金は大きな障害のようです。アメリカでは特にジュニアゴルファーが安く、ここコオリナゴルフコースのPGAプロは無料のボランティアでジュニアゴルファーを無料で教え、プレーも無料です。大人も市営ゴルフ場はゴルフIDを発行してくれるので、500円ほどで市営ゴルフ場でプレーをしたこともあります。
日本でも例外的に沖縄はジュニアゴルファーの育成に熱心で、無料のプレーや無料の教育や小学校の体育でも教えるようです。このような環境から、宮里藍などが生まれてきています。少し前ですが、日本で私が行く横浜市内の近くのコースで女子の日本オープンがあり、宮里藍の人気はすごいものでした。しかし、とても小さな娘で、アメリカで活躍できるのだろうかと心配するほどでした。ここコオリナでも出場しましたが、成績は芳しくありませんでした。
宮里の例に限らず、近年の日本人は世界へと活躍の場を求める者が増えています。野球にいたっては大リーグで十分に活躍できて成功した分野の代表例です。
スポーツに限らず、特に医療ではアメリカは最先端の医療レベルを追及してきた伝統があります。アメリカの学会は通常は世界大会となっているのは、この医療レベルの高さゆえになのです。アメリカの最も重要な側面は、新しいアイデアを歓迎し、まだ未成熟であっても暖かく見守り、育てようとすることがあります。また、外国人であっても実力でのみ成果を見ようとします。これは、実に真摯です。ヨーロッパではよそ者の日本人に構えてしまうことがとかくありますが、アメリカ人はよそ者だから仲間に入れないという古い日本のような文化はありません。むしろ、よそ者や少数者をのけ者にしようとすることが、悪徳として排除されます。これは、アメリカの最も良い点の一つです。
私は、中学生時代より、英語に興味を持ち、高校生では米軍将校のお宅によく遊びに行って英語で日常の会話を行っていた記憶があります。
横浜翠嵐高校卒業後に、宮崎の国立航空大学に入学したのも、海外への憧れが最も大きかったと思います。途中で進路変更しなくてはならず、国立滋賀医科大医学部に入学してからも、海外で活躍したいとの思いも強く有りました。日本のゴルファーがアメリカで歯が立たなくても、世界最高の舞台で頑張ってみたいとの気持ちはよく理解できます。分野は違いますが、私も同じような気持ちで海外での研修を選んだものでした。
アメリカは、非常に矛盾した多くの問題を抱えた国です。時には横暴としか思えない攻撃的な面を見せます。特に最近のイラクでの戦争で、世界からの尊敬さえ失いかねない事態となっています。医療でも、7000万人ほどの国民が医療保険に入れない問題があります。医療保険に入っていても、医療費が日本の数倍から十倍ぐらいするために、安心して病院にかかれません。まず、病院への支払いが出来るかが問題となります。それでも、アメリカの医療の良さは、古いもののしがらみにとらわれずに、新しい技術を積極的に評価しようとすることです。
私は、日本人という外国人ですが、ASCRSアメリ白内障屈折矯正手術学会で常任理事など多くの役割に任命されています。日本では学会は、大学の分科会のような感じです。一方で、アメリカの学会は実に公正で、実力主義が徹底しています。自国民を優先しようとか、ましてや同じ大学人を推薦するなどはありません。医学部の教授を選ぶときは、候補者の医師が勤務する病院に出向いて、手術の実際を見学して手術の実力を評価します。また、同じ大学の出身教授は原則として許されません。外から新しい優秀な血を持ってくることが、文字どおり優秀な集団を作るのにどんなに重要かを知っているのです。
なぜ、日本人が地方人から抜け出せないのかを、考えることがあります。ひとつには、伝統的な農耕民族であるために、排他的な仲間集団を作ることが重要なことであったためでしょう。これが、無意識に新しいことを拒否する習慣や、仲間以外は外人という言い方が象徴するように、のけ者にしようとする伝統的感覚があります。これが、いじめや、集団内だけで収めようとする談合的体質も生みます。
もうひとつは、日本人にとって、日本語の発祥が違うこともあって、英語に代表される外国語が非常に苦手なことがあります。とくに英語は医学の標準語です。これが出来ないと最先端の知識は知ることが出来ないし、自分で開発した新しい方法を世界に知らせることも出来ません。私が理事をしているアメリカの学会の会議で、委員長が私に相談しました。『ヒデ、日本のドクターは、発表の内容が良いようだが、英語の発音が、何を言ってるのか分からない。日本人の発表者の横で、英語のネイティブスピカーに原稿を読ませようか?』と、まじめに相談されて、何と言ってよいか、返答に困ったことがあります。
日本人がなぜ英語が不得手かというと、英語の使う環境が無い環境の悪さもありますが、受験英語が最も問題のような気がします。私が、医学部を受験したとき、高校時代や航空大でも教科書は英語だし普段英語を良く使っており、英語受験は自信がありました。あと、数学は昔から得意でもありました。実際の受験では、この数学が満点で救ってくれたのですが、一番得意のはずの英語が悲惨な得点でした。今でも、思いますが、あんな『受験英語は英語の実力と全く関係無い。』ということです。受験英語は、パズルのようなwhichはどこにかかって、thatは何を意味してなどと、解説をします。これでは本質的な英語が嫌いになるし、実際に使える英語など出来るわけがありません。受験から英語を無くすか、徹底的な実用英語で試験すべきでしょう。
もっと、進歩を早めるには、国語を日本語と英語の2ヶ国語を国語と定めて、すべて公の文章は日本語と英語の表記にすることと、基礎からの学習を日英両語で学習を義務化すると良いと思います。スイスでは、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、古語のスイス語がすべて国語となっています。インテリの人々はほとんど全ての言葉を使いこなしていますので、必要があり社会で決まっていれば同じ人間なのだから、日本人でも必ずできます。日本人が、英語が出来ないために、いかに多くのチャンスを失っているか、また海外で誤解されたり、能力を発揮できないかを、真剣に反省しなくてはなりません。
語学は単調であり一人でマスターするのは非常に大変です。それまでにかなり自信があった私も一念発起して、毎朝7時から一時間ずつ毎日個人教授を受け、5年間ほど近くのベルリッツ語学校で中級、上級、ビジネス語など全ての課程を複数回こなしました。もしも社会全体の基盤が語学習得に適した環境であれば、もっとずっと簡単だったでしょう。
この英語教育が出来れば、ひいては日本の医学レベルが常に国際レベルでのチェックを受けるようになり、日本医学が最先端のレベルを保つ可能性が出てきます。そのときこそ、最も難しい眼科外科医の、真の評価システムができる素地が生まれると思います。