見ることと、視ること。


見ることと、視ること。見るということは何でしょうか?人間の得る情報の9割は眼から入るといわれます。それほど重要な現象ですが、見ることについてあまり考えることはありません。
見るとは、物に当たった光の反射や透過の波長が眼の角膜、前房水、水晶体、硝子体を屈折しながら網膜の視細胞に当たり、電気反応を起こし、その電気信号を脳の後ろ部分に到達して、後脳がそれを解析して、前脳が認識するわけです。
眼科の治療は、光の波長が網膜に到達するまでの問題を解決することがほとんどで、一部は網膜そのものの問題も解決しようとしています。眼科の治療は見えるかどうかが、問題となることから、見えるとは光の波長を電気信号にするまでの治療です。
こう分析すると、光の進行の障害を解決する意味がわかります。角膜は炎症や、混濁を薬や手術で解決します。我々の治療の得意な、日本でもっとも最初に開始した近視矯正レーシックや、円錐角膜手術、角膜移植手術などです。次は前房水中です。フェイキックIOLを日本で最初に開始してます。その後の水晶体の問題は、最も我々の得意な分野の白内障手術、多焦点眼内レンズ移植手術などがあります。硝子体は、これも近年爆発的に症例が増えている硝子体手術があります。その後の網膜は、当院の専門性を生かせる、網膜剥離手術、糖尿病性網膜症の治療、網膜血管閉塞への手術があります。網膜から脳への途中の視神経疾患の代表例は緑内障ですが、薬や手術で積極的に治療しています。そのほか多くの分野があり、眼科が実に多くの疾患を扱っているのかが分かります。見ることの重要性は言うまでもありません。
それでは、視るとは何でしょうか。見ることによる電気信号を解析する以降の現象は視ると言ったほうが正しいと思います。ときに、患者さんが暗いときなどでも光が飛んで見えるといいます。頭をぶつけて眼に星が飛ぶと言ったり、手塚虫の漫画の鉄腕アトムで頭をぶつけて、頭から星が飛んでいるシーンをみます。これは理に適っていて。頭をぶつけると、硝子体が揺れて、網膜に張った硝子体の線維が網膜を引っ張って電気反応を起こし、それを光として認識するわけです。つまり、光を見てなくても、頭は電気信号を光と理解するわけです。
絵画の世界では光の波長を受けていますが、実際の頭の認識は、絵を見た衝撃や感動や幸せな気分を認識するわけです。これを『視る』と言えます。頭が認識することを指すのですから、『深く視る』という表現が成り立ちます。ですから、色の組み合わせに過ぎない絵画に深く感動し、対価を払っても自分のものにしたくなります。絵を扱う業種を画商ともいいますが、この画商は見る感動を扱うわけですから、普通の物の販売ではありません。画商を生業とする人には、視る力が要求されるわけです。
この視る力を持った達人と知遇を得ました。吉井長三さんですが、この方が実に素晴らしいのです。本来が、絵が好きで、上野の美校で潜りでも絵を描いていたとのことですが、大卒後に鉱山会社に入った後に、美術館でルオーの絵を視て衝撃を得て、絵の道に戻る決意をされたとのことです。現在は、銀座で画廊を経営され、山梨の清春芸術村を作り、パリの本家と同じ設計でのラ、リューシュや崇拝するルオー礼拝堂などを建築され、またパリでも画廊と美術館を併せ持った施設を運営し、昔のお城の中に焼き物の釜を作り、細川元首相の焼き物の後押しもしています。多くの芸術家を見出す眼を持つことから、ベルナール、カトランなどの現代美術の重鎮を発掘しています。写真はカトランの小品ですが、色彩の調和により感動を生み出すカトランならではです。清春芸術村でも講師を務めたことがあるほどで、吉井画廊には油彩の傑作が展示しています。
人間はなりたいものになる、とは誰かの言葉でしたか。一般的に言えば、夢はかなう、でしょうか。これは、やはり真理です。人は好きなことには積極的に努力しますし、少々の失敗にはめげないで成功するまで挑戦することで、成果を得られます。私は、なりたかったことが少なくとも3つあります。このうちの二つは成就して、まず、パイロットになり、次いで医師になっています。しかし、最初に目指したのは画家でした。自分なりに視ることとへの欲求や自分の世界を作り出す渇望はいまでも燃え滾るマグマのようなものです。今日も10時間半も休み無く、硝子体手術や白内障、多焦点レンズ移植など多くの手術を続けて施行してます。精神的肉体的疲労の極地でした。しかし、この表現せざるにはおられない爆発する力は身体の芯から燃え上がっています。順番でいうと、ひょっとするといつの日か、私の作品を美術館でごらんになる日があるかもしれません。
視ることは、究極の自己表現を引き出す鍵のようです。生きることと、視ることは同じなのかもしれません。