自我からの開放



時間があると、海の下に潜ることが多くあり、すでに800本以上潜っています。
キューバーダイビングがまだ珍しかったころから、ライセンスを持ち、毎週末には、伊豆半島などに土曜日の朝早く出かけ、タンク二本を潜ったものでした。
海外でも、圧縮空気のタンクを借りて、自前のスキューバセットで、気ままに、島の海の洞窟や岩場を潜ったものです。
医療とは、義務の範囲が結構分かりにくく、自分の範疇でなくてもこなさなくてはならないし。また、時間的にも決まりきった時間で区切ることが出来ないことが多いのです。いつも、何かに追いかけられ、または追い求めています。勉強に至っては、もっと顕著です。医学部に入るのは大変ですが、医学部に入るともっと勉強は大変です。しかし、医師国家試験を通過してから、医師になった後の勉強の方がはるかに大変です。自分の意思であっても、何かを成し遂げることは永遠の受験生のごとく追いまくられるような感覚です。いまだに、学会前の締め切り近くには、医学部の卒業生試験が通らないといった悪夢を見ます。
医療とは、不完全な科学です。プラスとマイナスとのバランスで判断するしかありません。患者がよく、『最高の方法でしてください。』とか、『絶対に良くなるなら手術を受けたい。』と言った言い方をします。これに対して、私は、
『最高の方法などありませんよ。不完全な方法だからこそ、マイナス面をより自覚して、何とか改善しようと工夫するし、プラス面の多い方法を選択しようと考えます。また、絶対に良いなどという言い方は、医学では絶対にありえません。ものごとの実態を冷静に把握して、マイナス面も納得して受けるのでなく迷っているならば、どんな手術も止めたほうが良いですよ。』と、答えます。
これは、患者さんにどう響くのでしょうか?よく、美容外科系のレーシックなどの近視矯正手術での宣伝で、夢のような方法で、絶対安全なようなイメージを売り込んでいます。しかし、現実はどうですか?合併症をおこした患者が何とか救ってほしいと、我々のところに救いを求めてきます。近視矯正手術でも何でも気軽に考えるのは止めましょう。手術の達人は、手術により起きうる可能性のある合併症に対しての準備や心構えを常に怠りません。ですから、合併症に万一出くわしても、直ぐに対応して、大事には至らないのです。全ての眼科手術で世界最高の設備と技量で対応している我々は、実はもっとも臆病で慎重な集団です。
手術中に、看護師がピンを落としただけで、何か異常が起きたのかと、意識をします。顕微鏡から見える手術場面だけでなく、手術中の音、機械の振動、色の変化や雰囲気さえの変化も意識の中でとらえています。ですから、なんだか分からないけど、何かが変だと感じたときはそこで止めることがあります。音が変だと思ったときに、白内障手術機械の超音波チップの締め付けが悪くて、微妙に緩んでいたら、わずかな振動と音の変化を感じ取ります。もし、これに気づかないと、超音波チップが飛び出して水晶体のカプセルを傷つけるかもしれません。
私は今までに約十万件の眼科手術を施行しています。どの手術でも等しく緊張をしいるものです。手術は芸術の一種とまで考えている自分としては、白内障でも、窓のCCCは完全な正円で、レンズよりやや小さく、レンズ縁にわずかにかかる大きさで、カプセルは残った薄い線維皮質を綺麗に完全にクリーニングして、切開層も自己閉鎖が直ぐに完全に出来るようにしています。白内障手術はどこでもやります。しかし、芸術的なレベルのこだわりを味わってみてください。患者さんの敏感な感性でかならず感じられます。片方だけ当方で手術した方は、我々の手術を全く違う、こんなに見え方が良いとは信じられない。早く知りたかった。と、共通した感想を述べます。
このような、ストレスの中で自我を開放できる機会はあまり多くありません。その中で、スキューバーダイビングはすばらしいリラックスの場です。まるで、無重力感の中で、筋肉の弛緩と思考も停止して、宇宙に浮いている自分の感覚だけが漂います。
しかし、眼の中に、珍しい魚などが見られたり、面白い洞窟があると、どんどん入っていくので、困ることもあります。ボートダイブは2人でバディーを組むことが多いのですが、勝手に興味のある洞窟を覗いていたら、上げ潮で上方の出口へと吸い込まれるように15メートルほど一気に吹き上がり海の岩場に開いた穴から空中へと吹き上がりました。自分では急速ブローでは息を一気に吐き出す習慣があり問題もありませんでしたが、吹き上げられた岩場から這うように一気に移動して、再び断崖の岩場から海の中へと逃れました。
その後は、あるアメリカ人のダイバーが僕について回り楽しかったと、船の上でガイドに話したのですが、ガイドは私のことを、彼はもうプロ級だから勝手に危ないところも近づくので、一緒に行ってはあぶないから、ガイドの自分について来い、と言われていました。
自我からの開放は、無重力状態の水中でも難しそうです。しかし、水中の開放された気持ちは、ひょっとしたならば、母親の胎内の羊水に浮かんでいる感覚でしょうか。そういえば、海の深みに長くいると、身体が冷え、妙に尿意を催して、ウエットスーツを着たまま小水を出すことがあります。ダイバーなら誰でも経験があります。これが、実はものすごく幸せな気分になるのです。体中に暖かなぬくもりが伝わり、やはり原体験の羊水の暖かさを思い起こしているのでしょうか。