幸せの時間



動物園では、人気者のライオンとシマウマがいます。ライオンはやはりたくましくかっこいいし、シマウマは縞模様が美しく可愛らしいものです。しかし、自然の中での動物は厳しい自然の掟の中で生きています。
南アフリカでのサファリ中に、シマウマを食べるライオンと出くわしました。個々の美しさから見て、自然界の厳しさを垣間見る思いです。
上の写真のライオンは、お腹が満たされているのか、それとも空腹で動けないのでしょうか。ライオンは百獣の王と言われますが、獲物を取れずに餓死している姿を見ることも有ります。一方で下のシマウマはその優美な姿で魅了します。草原を走り回って自由な行動はうらやましいものですが、時にはライオンなどの肉食獣に捕られ食べられることもあるのです。まさに、『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、、』です。
逞しい像も毎日50キロほどの草を食べるので、日中はもちろん夜もずっと食べ続けているのを夜のサファリではよく見ます。ライオンは敵が来ない限り急に立ち上がったりしなければ襲ってはきません。ライオンは、腹が減らなければ獲物を取ったりしないのですが、獲物を取るときにライオンは群れで襲います。そして、通常はじっくりと、夕方から夜にかけて食べます。
ある夜に、ライオンを見に池に行こうとレンジャーと屋根の無いレンジローバーで夜中に出かけました。池のほとりで、待っていると何かが動く気配がして、バリバリと骨をかむ音がし始めました。懐中電灯をつけて周りをみると、何と27頭ものライオンの中にいました。数人で行ったのですが、何となく車の真ん中にいたものの、屋根も無く、襲われたらひとたまりも無いわけです。ただ、レンジャーにすれば、立ち上がらなければ襲ってこないからと言います。
普段のアフリカ象は群れで行動することが普通です。30頭以上の象が湖で水浴びをしている風景を見ましたが、たしかにゴジラの声に象の声を少し変えて使ったという意味が分かります。水浴びをしているときのアフリカ象の咆哮は目の前で見て聞いてみないと分からないすごい迫力です。
たまに、アフリカ象が一頭で木の葉を食べている時に出くわしました。通常の群れの象と違って、はぐれている象は気が立っていることが多いのです。其の時会った象は、高さは3メートルはあり、大きな耳と、巨大な牙をもった地上最大の哺乳類です。刺激をしないようにエンジンを止めて見入っていました。すると、その象は機嫌が悪かったのでしょう。突然こちらのほうに向かって来ました。レンジャーがあわてて車のエンジンをかけようとしましたが、なかなかエンジンがかからない。何度も何度もセルモーターが鳴ってから、やっとエンジンがかかり、象の長い鼻が我々の近くに降りかかった瞬間に、車は走りました。ただし、後ろ向きに象を振り切ろうと走り続けました。途中で向きを変えましたが、結構長い間象から追っかけられました。後日、映画のジュラッシクパークで恐竜に追いかけられながらランドクルーザーで逃げる主人公がいましたが、全くこれと同じような場面が、現実の場所でおきたわけです。
人間はいつも食べる側と思っていますが、時には食べられる側に回ることがあります。
いつも、多くの困難な重症の眼科疾患の方がたが全国から来院します。ときには、自分のことばかりを主張する患者に会うこともあり、閉口することもありますが、眼の病気にかかっている患者さんは同時に精神の悩みも抱えているのだと思い、理解するようにしております。
また、重症の患者さんが多く、検査に時間がかかることから、自分の番までに長く待つことも多くあります。我々は、身を削りながら、トイレにたつことも出来ず、食事も取らないで一日を頑張っています。
医療は究極は使命感に基づく聖職であると思います。世の中に聖職と言われるものに、教師などもあります。しかし、最近は父兄による教師へのクレームが多くて教師も聖職意識を持ちにくくなっています。それが悪い循環を作って、教師の質にも問題が出たり、生徒や父兄の側にも異常な攻撃性を示す者も出てきています。
同じことが医療でも出始めています。日本のような安い医療費で高品質な医療を国民全てに提供するという理想は素晴らしいことです。しかし、そのためには医師と患者双方に互いを尊重して感謝を示すこころを持つ必要があります。ほとんどの患者さんは、結果の良さに感謝して、神や仏に手をあわすがごとく喜びを表します。それでも極稀に、血相を変えて、クレームをのべる方がいます。これほど医師が患者に奉仕し、消耗しきっていても、それを責めるものが出てきたことは、今の日本が抱える世相でしょうか。
あまりにも、無理を重ねていると、時に身体を壊します。私も先週から、鼻の調子が悪く、急性副鼻腔炎になったようで黄色い鼻がでます。そこで、夜間開業の耳鼻咽喉科に行きました。あらかじめ電話して予約していきましたが、難しい子供の患者を診ているのか、子供の泣き声が続き、さほど待っていないのにずいぶんと待たされた気がしました。黙ってじっとしていると、予約をしたのに、医師でお互い忙しいのに、何でこんなに待たせるんだとイライラしてきました。食べる側と食べられる側が逆転したようなものでしょう。つまり、立場が違うと感じ方も変わるってことでしょうか。
ずいぶん待たされて、やっと呼ばれました。受付の女性はしっかりと化粧した女性で、案内された診察室は開業したばかりのクリニックであることもあり、デザインを考えた、まるでカフェバーに来たようでした。診察の医師も今風の格好でした。鼻は心配した他の病気も無く、子供の頃から時々発症した副鼻腔炎で、薬の内服で収まりつつあります。
病気から開放された気持ちで、この新しいクリニックと職員、医師と観察し始めました。今風の感性に訴えるおしゃれなデザインされたコンセプトは中々素晴らしいものでした。
さて、わが身に振り返ってみますと、やはり自分は自分です。儲からなくても、経済的には馬鹿げていると思われても、常に世界で最新最高の設備に多額の投資をしています。自分自身も、つねに、今を不足していると戒めて、世界の学会で最新の知識を吸収して、また世界の医師に自分の理想とする医学や手術方法を伝える努力をします。格好良いイメージをやりたくても、自分には地道に使命感を持って患者の為に努力することしかできず、かっこ悪くても、これが身の丈でしょう。
さて、襲うライオンはどちらで、襲われるシマウマは誰でしょうか。消耗しきって、副鼻腔炎で抗生剤や消炎剤を飲み、ふらふらになっている自分を思うに、やはり私はライオンになりたかったシマウマなのだろうと思います。積極的な方法を提案するライオンのような逞しい存在であろうと思っていても、身を削りながら使命感で奉仕するような精神状態は、シマウマであることを覚悟した医師のような特殊な職業にしか、現代では存在できなくなっているのかもしれません。
幸せの時間』はひとにより違います。ただ言えるのは、争いの中には無いようです。ライオンにすれば、獲物を意識しないのんびりと寝ているときが至福のときでしょう。また、シマウマでは風の流れを感じながら大草原の中で、ぽつんと立っている時に至福の時が訪れるのでしょう。