異なるものへの尊重が世界を救う

いまニューヨークに出張中だが、今日気づいたことに、ニューヨークのレストランのトイレは男女に区分されていないことが多い。複数のトイレであっても別れていないで、「全ての性」と書かれている。これは男と女だけでなく、従来の意味での男とも女とも区別されない人々を尊重しているのだ。
これはとても重要な意味を持つ。特に日本人は、集団の中にいる事を良しとしがちだ。つまり他と違う者を区別して、集団と違うことで差別をしたがる。これは人々は同じだという幻想と、為政者にとっては個性など無い方が統治しやすい、という子供時代からの間違った無個性刷り込み教育にある。
人はそれぞれ違うものであり、違う他者を尊重することこそを教育すべきなのだ。性同一性障害への差別が日本では根強い事は日本の後進性のあらわれなのだ。
翻って日本の眼科医療の後進性も、同じ穴の出来事でもある。最先端の医療は常に少数者だ。世界ではこの最先端の少数者が提起する新しい医療を尊敬しそれを検証するので、眼科医療はどんどん進歩する。現実に、近代の白内障手術と緑内障手術の新しい技術の約半分は、僕が開発したものだ。これを欧米の眼科学会が諸手を挙げて大歓迎したので、世界は進歩した。方や、日本は西洋の白人医師が言うと有難がるが、同じ日本人の医師である僕の開発技術を尊敬するどころか、西洋から逆輸入するまで理解もできない。いまある日本での最新技術は、僕が欧米でとっくの昔に開発し発表したものなのにだ。日本の眼科医療が常に世界から20年遅れるわけだ。

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New York restroom1